広島赤十字病院でやけどの手当てを受ける少年。のちに画像鑑定で、この少年が原田成男と特定された(撮影:宮武甫)
臨時救護病院となった新興善国民学校で手当てを受ける子ども(長崎)。薬が満足になく、ほとんどが赤チンを塗られていたという(撮影:富重安雄)
長崎要塞司令部の壁には当直の監視兵の姿と帯剣、梯子の影が焼き付いていた(撮影:松本栄一)