2018年お正月時の大鳥居。鳥居自体が祈願所となっている
2018年お正月時の大鳥居。鳥居自体が祈願所となっている
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「穴守稲荷」明治42年出版の「最新東京名所写真帖」より(国立国会図書館デジタルコレクションより転載)
「穴守稲荷」明治42年出版の「最新東京名所写真帖」より(国立国会図書館デジタルコレクションより転載)

穴守稲荷神社の奥の宮(お穴さま)へと続く千本鳥居
穴守稲荷神社の奥の宮(お穴さま)へと続く千本鳥居

 JTBの発表によると、2018年の夏休みの海外旅行者数は調査比較可能な2000年以降、過去最高の数値となったようだ。国内旅行者数も微増し、人々の旅行意欲は高まっているといえるだろう。東京の玄関口である東京国際空港(通称・羽田空港)も、2020年に東京オリンピックが控えていることもあり、日々拡張と発展を遂げている。

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●羽田空港の場所にあった「穴守稲荷神社」

 羽田空港は、87年前の今日、つまり1931年8月25日に正式に開港した。今でこそ世界4位、国内最大の旅客数を誇る羽田空港だが、歴史を紐解くと興味深い歴史が横たわっている。

 羽田は、江戸時代中期に埋め立てられ、新田開拓が行われてきた場所である。当然塩害や水害に悩まされ続けたが、やがてこれらの被害から開拓地を守ってもらいたいと、伊勢神宮から外宮の神さま・豊受姫命(とようけびめのみこと)を勧請して神社が作られることになった。それが現在に続く「穴守稲荷神社」の始まりである。“堤防に空く穴がもたらす害から土地を守る”という意味を持つ社名だったが、江戸時代、性病に苦しんでいた遊女たちから、自分たちの体を守るご利益があるとして、大変に信仰を集めることにもなった。

●戦前までは東京随一の行楽地に

 明治時代になるとこれに加え、羽田に温泉が湧き潮干狩りなども楽しめるようになったため、行楽地としても発展していく。穴守稲荷神社の門前町の賑わいを見て、京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)が蒲田からの支線の運用を始めたくらいの人気ぶりだった。蛇足だが、京急の歴史の始まりは、川崎大師人気からの鉄道敷設だったわけだから、穴守稲荷神社の人気に目をつけるのは当然の成り行きともいえるだろう。

●GHQに接収された羽田

 ところが、第2次世界大戦の敗戦直後の1945年9月、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は軍事基地拡張のために羽田空港を接収(強制的に没収)し、同時に羽田一帯の土地も軍用地とした。「穴守稲荷神社」と羽田の住民たちには、24時間の撤収時間しか与えられず、ほとんど着の身着のまま荷車を引いて家を後にしたのだという。

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