巨人戦で力投する中日時代の中里=2001年撮影 (c)朝日新聞社
巨人戦で力投する中日時代の中里=2001年撮影 (c)朝日新聞社

 6月9日、野球界を大きな衝撃が走った。開幕から投打に渡る大活躍を見せていた大谷翔平(エンゼルス)が右肘靭帯の損傷で故障者リスト入りしたのだ。症状についてはさまざまな情報が飛び交っているが、手術した場合は長期離脱は避けられない状況である。今は軽症であることと完治することを祈るのみだが、過去にも故障によって選手生命に大きな打撃を受けた選手は少なくない。アキレス腱断裂の重傷を負った前田智徳(広島)はその代表例だが、そこまでの実績を残すことなく球界を去った例も多い。今回はそんな“悲運の選手”について紹介したい。

 投手で真っ先に思い浮かぶのが伊藤智仁(ヤクルト)ではないだろうか。三菱自動車京都から3球団競合のドラフト1位でヤクルトに入団すると、1年目からローテーション入りを果たし、前半戦で7勝をマークする活躍を見せる。凄いのがその内容だ。7勝のうち4試合が完封で防御率は驚異の0.91。セ・リーグタイ記録となる1試合16奪三振をマークし、109回を投げて126奪三振という数字を残したのだ。

 伊藤の最大の武器は横に大きく鋭く滑る高速スライダー。打者が振り始めてから変化するとまで言われた必殺のボールで、150キロ近いストレートとのコンビネーションは攻略不可能なものだった。しかし1年目の7月に右ひじの故障で離脱。肩の故障も併発して翌年から2年間は一軍登板なしに終わり、1997年は抑えで19セーブ、翌年からは先発に復帰して3年間で22勝をマークするものの、1年目の輝きが戻ることはなかった。

 そして2001年には肩の故障が再発。その後の2年間は懸命なリハビリを続けたものの結局一軍に復帰することはなく、実働7年間で37勝25セーブという成績に終わった。女房役を務めた古田敦也(ヤクルト)も、「バッテリーを組んだ中で最高の投手は伊藤」と答えるくらいの才能の持ち主であり、今でもその活躍は多くのファンの脳裏に鮮明に焼き付いている。ちなみに伊藤は、その後長くヤクルトの投手コーチを務めたが、昨年のオフに退団。今シーズンからはルートインBCリーグに所属する富山GRNサンダーバーズの監督に就任し、指導者としての第二章をスタートさせている。

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西尾典文

西尾典文

西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究し、在学中から専門誌に寄稿を開始。修了後も主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間400試合以上を現場で取材し、AERA dot.、デイリー新潮、FRIDAYデジタル、スポーツナビ、BASEBALL KING、THE DIGEST、REAL SPORTSなどに記事を寄稿中。2017年からはスカイAのドラフト中継でも解説を務めている。ドラフト情報を発信する「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも毎日記事を配信中。

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伊藤よりもさらに短い一瞬の輝きを放った投手