阪神電鉄尼崎駅から南東に歩いて約5分。川沿いにある公園で、着々と建設が進むのが「尼崎城」だ。
「尼崎城を建てて、市に寄付したい」
2015年、ある人物の申し出をきっかけに、尼崎城再建計画は動き出した。尼崎城は、約400年前の江戸時代初期に築かれ、「大坂の西の守り」を担った名城だが、1873(明治6)年の廃城令を受けて天守や櫓(やぐら)、石垣などが取り壊され、全国的にも珍しく地上から完全に姿を消した“幻の城”でもある。
そんな尼崎城復活に、市民らは「新たな街のシンボルに」と期待を寄せる。過去の公害問題などで負のイメージも漂う同市だが、尼崎城はイメージ刷新につながるのか、注目されている。
尼崎城は1617(元和3)年、江戸幕府の命令で、近江の膳所藩から尼崎藩へと領地替えをした譜代大名、戸田氏鉄(うじかね)により、翌年から数年かけて築かれた。約300メートル四方、阪神甲子園球場の3.4倍に相当する広大な敷地に建てられた城は、3重の堀に4重の天守という「5万石の大名としては立派過ぎるお城だった」(市の担当者)という。
戸田氏、青山氏、松平氏と代々譜代大名が藩主を務め、尼崎藩政の中心にあった尼崎城だが、明治維新後に廃城。建物は建材として街の整備に使われ、堀も埋められてしまったため、地上部分の遺構はほとんど残らなかった。
尼崎はその後、工業都市として発展。その中で、尼崎城の存在は徐々に忘れ去られていった。一部の市民からは、城の再建を臨む声もあったが、費用面などから実現に至らなかった。
そんな尼崎城の再建を申し出たのが、尼崎市で家電販売店の旧ミドリ電化(現エディオン)を創業した安保詮(あぼ・あきら)氏だ。「お世話になった尼崎に恩返しがしたい」という思いから、天守の復元を尼崎市に打診。建設費用は実に10億円以上。それをすべて安保氏が負担するという、願ってもない申し出だった。城の跡地は国史跡に指定されておらず、文化庁の規制がかからないという事情もあり、市が城址公園の整備を担うことで、建設計画はスムーズに進んだ。
今回再建されるのは、4重の天守と2重の付けやぐら。17年12月から、かつての場所からは約300メートル西の公園で、左右反転させる形で建設中だ。
「駅からお城を見た時に、街を守っているように見えるような雰囲気を大切にしました」(市の担当者)