雨に祟られながらも試合を強行した結果、日没でサスペンデッドゲームになってしまったのが、1987年5月23日のロッテvs南海(柏崎)。
この日は午前中の激しい雨の影響で、14時開始予定が32分遅れ、2回表のロッテの攻撃が終わった直後、再び激しい雨に見舞われた。
通常なら降雨ノーゲームになってもおかしくないところだが、同日は同球場のこけら落とし。前年11月に完成していたのに、この日のためにオープンを遅らせていたとあって、主催者側は「せめて5回まではやりたい」と試合続行に執念を燃やした。
約10分後、雨が上がると、特大スポンジで水を吸い取り、大量の砂入れ。ようやく1時間4分後に試合再開に漕ぎつけた。
ところが、4対4の8回表、横田真之が二ゴロに倒れた直後の17時44分、「もうボールが見えない」という理由でサスペンデッドゲームが宣告された。同球場に照明設備がなかったためだが、日没によるサスペンデッドゲームは、1964年3月22日の西鉄vs阪急(西宮)以来の珍事だった。
続きは7月7日に平和台球場で行われることになったが、ここでも雨に祟られ、翌8日に順延。9回2死一、三塁、南海が河埜敬幸の左翼フェンス直撃の一打でサヨナラ勝ちし、ようやく決着がついた。
ちなみに、再開直後の8回1死に左前安打を放った高沢秀昭は、柏崎で記録した2安打と合わせて猛打賞となったが、賞品スポンサーが柏崎だったため、貰い損ねてしまった。
1994年4月12日の巨人vs横浜(横浜)は横殴りの雨に加え、最大瞬間風速17メートルの強風が吹き荒れる悪天候のなか、序盤から激しい点の取り合いになった。
3点を追う巨人は9回表、5安打を集中し、3番・松井秀喜の犠飛で8対8に追いつく。長嶋茂雄監督はその裏、満を持してセンターの守備固めに屋鋪要を起用した。
前年オフ、16年間在籍した横浜から突然戦力外通告を受け、巨人に拾われた屋鋪にとっては、移籍後初めての古巣との対決でもあり、特別な感慨があったのは言うまでもない。
ところが、無死一塁から5番・ローズがフラフラと打ち上げた中飛は、折からの強風に流され、グングン伸びた。必死に追いかけた屋鋪だったが、雨でグッショリ濡れた人工芝に足を取られ、思うように動けない。そして、打球は右後方にポトリと落ちるサヨナラ打になった。
「自分が原因で試合に負けたって、すごいショックで落ち込んでました」
だが、その日の深夜、長嶋監督が電話をかけてきて、「お前が捕れないなら、誰も捕れないよ。明日元気に出てこいよ」と励ましてくれた。
「ありがたかったです。それまでは“やっぱりスタメンで出たいな”って気持ちがあったんですけど、それがきっかけで、“どんな出場機会でも与えてくれるのであれば、プレーに徹しよう”という気持ちになりましたね」
同年は主に守備固めや代走で87試合に出場し、長嶋巨人初の日本一に貢献。横浜時代はリーグ優勝が1度もなく、「2位と3位が1回ずつだけ。2軍でも優勝がなかった」という屋鋪にとって「野球人生で最高の年」になった。「災い転じて福となす」である。
●プロフィール
久保田龍雄
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。