各地でオープン戦も真っ盛りだが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、80~90年代の“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「幻の本塁打編」だ。
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2017年にオリックスのマレーロが来日初アーチとなる逆転2ランを放ちながら、本塁ベースを踏み忘れたことから、同点三塁打に格下げされるアクシデントが話題になった。
過去にもルーキー時代の長嶋茂雄が一塁ベースの踏み忘れで本塁打を1本損しているが、三塁ベースまで踏んでおきながら、最後の詰めが甘かったというのは、本当にもったいない。実は、マレーロ以前にももう一人、本塁ベース空過でアウトになった選手が存在した。
1981年から広島で2年間プレーしたガードナーである。
81年7月19日の大洋戦(横浜)、2点を追う広島は4回、ライトルの右越えソロで1点を返し、2対3とした後、連打で無死一、二塁となおもチャンス。ここで7番・ガードナーが大洋の2番手・池田弘から右越えに逆転3ラン。値千金の一発に、ナインが大喜びで出迎えたのは言うまでもない。
ところが、ガードナーがベンチの奥で汗を拭いていると、鈴木徹球審がやって来て、「本塁アウト!」のゼスチュアをするではないか。捕手の辻恭彦が「本塁ベースを踏んでいない」とアピールしたのだ。
「ノー!僕はちゃんとホームを踏んでいるよ。それは言いがかりだ」と激怒したガードナーだったが、判定は覆らなかった。
「踏んだ、踏まないの微妙なプレーではなく、明らかな踏み忘れです。本塁ベースの手前まで足が来ながら、次の足ははっきりベースをまたいでしまったんですよ。辻君もそれを見ていたんでしょう。私も初めての体験です」(鈴木球審)
これには古葉竹識監督も「捕手とアンパイアと証人が2人いるんだし、本人が踏んだと言ってはいるが、勝てっこない」とあきらめの表情だった。リプレー検証がなかった時代とあっては、それも仕方がないところだ。
この結果、ガードナーの逆転3ランは2点三塁打に格下げとなったが、試合は広島が6対4の勝利。この日、決勝“三塁打”を記録したガードナーがヒーローになれたのは、不幸中の幸いだった。
「あのホームランが幻でなかったら、ウチが優勝していたかもしれないのに……」と30代後半以上の阪神ファンが今もなお残念がるのは、1992年9月11日のヤクルト戦(甲子園)。
3対3の同点で迎えた9回裏2死一塁、5番・八木裕がレフト上空に大飛球を放った。
打球がスタンドに入ったのを確認した平光清二塁塁審は「ホームラン」と判定。劇的なサヨナラ2ランに八木は万歳しながらベースを回り、スタンドのトラファンも「これで(ヤクルト、巨人と並ぶ)同率首位や!」と熱狂した。
ところが、ヤクルト・野村克也監督が「フェンスのラバー上部に当たってスタンドに入った」と抗議したところ、他の審判から「入っていない」と指摘された平光塁審は誤審を認め、エンタイトル二塁打に訂正した。
阪神・中村勝広監督が「一番近いところにいた彼(平光塁審)が判定を下したわけでしょ。ホームランとした時点でゲームセットでしょ。それを簡単に(覆すなんて)……」と口角泡を飛ばし、37分間にわたって抗議したが、「協議した結果」を理由に受け入れられなかった。
結局、連盟への提訴を条件に、2死二、三塁で試合再開となったが、このチャンスを逃した阪神は史上最長の試合時間6時間26分、延長15回の末、3対3の引き分けに終わった。
この年ヤクルトに2ゲーム差でV逸となった阪神にとっては、サヨナラ勝ちが一転して負けに等しい引き分けになったという意味でも悔やんでも悔やみきれないシーンだった。
八木の幻弾から3年後の1995年、阪神はまたしても幻の本塁打に泣いた。