小室さんは、相手の急激な変化によるストレスと恋人としての関係と介護の関係の2重関係の困難さをうまく乗り切れなかったのかもしれません。

 強いストレス状態の時には特に、人は自分を守るために支えや慰めを必要とします。こういうときに、世間的には「自分の気持ちが弱かった。反省している」と言うのが正解のようですが、これは危険な考え方です。気持ちを強く持つということは、一般には、自分のニーズに負けず「我慢」することを意味します。

 社会的に不適切な行為を擁護・推奨する意図は全くありませんが、仮に一生懸命生きてきたにもかかわらず、不幸が重なって無職のホームレスになってしまった人が、どうしても空腹に耐えかねて食べ物を万引したとします。事情が何であれ、万引が違法であることは間違いのないことですが、その人を捕まえて「自分の気持ちが弱かった」と反省させても、その人がどう努力しても最低限の食べ物を買うお金を稼ぐ道がないのだとしたら、意味のないことです。気持ちを強く持っても、生存に必要な食べ物が不要になるわけではありません。意志の強さで実現できることは、せいぜい数日の絶食であって、ずっと食べないで生きていけるようになるわけではありません。

「人はパンのみにて生きるにあらず」というように、生きて行く上で精神的な充足感が絶対に必要です。ところが、こちらは目に見えないので簡単に無期限の絶食ができるものとみなされてしまいます。これは危険な発想です。

 日本の介護問題となると、具体的にどう介護負担を減らすかなど、個人では解決できない部分も出てくると思いますが、小室さんが示した高齢社会の一つの課題を自分の問題として考えておくべきは、そうした人間のありようを前提にした回避方法です。

 例えば、日頃から夫婦の愛情関係と親同士としての関係性を両立させて2重の関係への対応力をつけておくとか、精神的な飢餓・充足に意識を向ける習慣などは、いざ介護になった時にも役立ちますが、それ以前に日々の夫婦の関係を豊かにするために役立ちます。

(文/西澤寿樹)

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西澤寿樹

西澤寿樹

西澤寿樹(にしざわ・としき)/1964年、長野県生まれ。臨床心理士、カウンセラー。女性と夫婦のためのカウンセリングルーム「@はあと・くりにっく」(東京・渋谷)で多くのカップルから相談を受ける。経営者、医療関係者、アーティスト等のクライアントを多く抱える。 慶應義塾大学経営管理研究科修士課程修了、青山学院大学大学院文学研究科心理学専攻博士後期課程単位取得退学。戦略コンサルティング会社、証券会社勤務を経て現職

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