スマートフォンの記録を見ると、私が数学を学ぼうと急に思い立ったのは、そば屋めぐりの1カ月前のことだ。先月16日、見舞いにきた大学の後輩に近況報告もそこそこに尋ねた。「数学の最先端が今どうなっているか知りたい。それに必要なことだけ勉強するには家庭教師をつければいいだろうか」
数学科出身の彼も今やすっかり銀行マンだ。記憶を思い起こし、額にあぶら汗を浮かべて説明してくれたが、それを聞いても何が分からないかすら分からない。後日、やはり大学で数学を専攻した先輩記者に「初学者」向けという本を紹介してもらった。これを読む準備として新書や文庫を4冊買い、ほそぼそと読み進めている。
これは私にとっては、残り時間の使い方に関わる大転換だ。がんの疑いを指摘されてから今月15日で丸2年。これまでは「残された時間で何を残すか」だけで頭がいっぱいだった。本を読んでいる余裕があるのかと、悩んだ時期もあったほどだ。そんな自分が、大学以降は触れていない、間違いなく何も残すことのない数学に手を出すとは。
背景には、コラムを書くうちに、自分1人で完結する世界を持ちたくなったことがある。同時に、先人が残した真理を知らずに死んでいいのかと、強く思うようになった。とはいえすべてには手が回らない。頭に浮かんだのが、あらゆる自然科学の基礎という印象があり、ロマンを感じていた数学だった。
話は高校時代に校内で開かれた夏期講習会にさかのぼる。白いあごひげの教師が、数学の得意な生徒たちと合宿した思い出を語り始めた。