◇
コラムで書いたのは、病室や自宅でひとり考えてきたことだ。それがどう読まれるか、影響を与えるかどうかはわからない。ただ誰かに届けばいいと、紙面に載るあてもないまま、一気に書き上げた。
思えば、暗闇の池へ念じながら小石を投げるようなこのときの気分が、かつて言われた「祈る」ということだったのだ。記事で社会をひとつの方向に変えよう、正そうと力めばともすると独善に陥り、かえって読者の胸に響かないかもしれない。記事に思いを込め、読者に届いたらあとはゆだねる。そんな心の持ちようを先輩記者は「祈る」と表現したのではないか。
ともあれ、小石を投じた先からはポチャンという水音が返ってきた。平さんはSNSで細野さんの感想を読み、コラムの提案について超党派で勉強会をするために、連絡を取り出したそうだ。私の知らないところで始まった、こうした動きの行方を見守りたい。
言葉はときに、歳月をへて発芽する。そんな言葉を自分も残せれば、と思う。