働き盛りの40代男性。朝日新聞記者として奔走してきた野上祐さんはある日、がんの疑いを指摘され、手術。厳しい結果であることを医師から告げられた。抗がん剤治療を受けるなど闘病を続ける中、がん患者になって新たに見えるようになった世界や日々の思いを綴る。
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がんになって聞かれた質問で一番答えにくかったのは「なんでがんになったの?」という、ある閣僚からのひと言だ。答えるのがつらいわけではない。単純に理由がわからない。
「東京五輪は見られそうなの?」
「難しいんじゃないですかね」
「なんでがんになったの?」
「さあ、どうしてなんでしょう」
「運命か?」
「まあ、運命なんですかね」
某省の大臣室で雲をつかむような問答をした後、やれやれ、といった感じで相手は言った。「じゃあ、俺たちの参考にならないじゃん」そりゃそうだと思ったが、同席していた後輩記者は表情を強張らせた。聞きようによっては冷たい一言である。後輩に気をつかわせてしまい、気の毒なことをしたなと思った。
なぜ病気になったのか。
それはがんに限らず、難しい病気にかかった患者の多くが考えることだろう。私も昨年1月にがんの疑いを指摘された後、頭をよぎらなかったと言えば嘘になる。当時は体重が今よりも30キロ近く重かった。飲み食いした肥満によって病気のリスクが高まったのか。ぼんやり考えた。
それで後悔に襲われたかというと、そうでもない。人は自分の間違いを認めたがらないものだから「強がってないか?」と自らに改めて問いかけてみたものの、やはり心がざわついてくることはなかった。
なぜだろう。
がんになって暮らしは一変した。新聞記者としての仕事はほとんどできなくなり、日常生活も不自由の連続なのに。
それでも「まあ仕方ないか」と割りきれるのは、いくつか理由があるけれど、病気になる前に福島で過ごした一瞬、一瞬の思い出が大きい。
直前に人間ドックの結果を知らされ、これが最後の仕事になるのだと思い定めた全国版での連載や、それまでの様々な仕事。それをめぐる知恵も、滑った転んだの笑い話も、福島の街で仲間と遅くまで飲んだり食べたりするにぎやかな夜から生まれた。