カフェ・ホワ?の入り口(撮影/大友博=2009年)
カフェ・ホワ?の入り口(撮影/大友博=2009年)
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カフェ・ホワ?にあるジミ・ヘンドリックスの壁画(撮影/大友博=2009年)
カフェ・ホワ?にあるジミ・ヘンドリックスの壁画(撮影/大友博=2009年)
大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など
大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など

 ジミ・ヘンドリックスの伝説が始まったのは、今から51年前に行われたある曲のレコーディングだった。音楽ライターの大友博さんが、ロックの歴史の転換点となった一日を語る。

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 今から51年前の1966年、ロックは明らかな形で大きな変化を遂げようとしていた。

 2枚組の大作『ブロンド・オン・ブロンド』を完成させたボブ・ディランは、のちにザ・バンドと名乗ることになるミュージシャンたちと北米・豪州・欧州各地を回り、ビートルズをはじめとする同世代のアーティストたちに強烈な刺激を与えた。ビーチ・ボーイズは『ペット・サウンズ』。ビートルズは『リヴォルヴァー』を発表したあと、スタジオでの創作活動に専念することを表明している。ローリング・ストーンズは、はじめてジャガー/リチャーズ作のオリジナル曲で固めた『アフターマス』を発表。ロサンゼルスではバッファロー・スプリングフィールド、ロンドンではクリームが第一歩を踏み出している。

 いわゆる「ロックの誕生」から約10年。大きなターニングポイントとなったその年の秋、ワシントン州シアトル出身のミュージシャンがまさに「どこからともなく」といった感じでロンドンに姿を現した。ジミ・ヘンドリックスだ。

 空港着は9月24日だったそうだが、それから数日のあいだに出会った二人の英国人ミュージシャン、ミッチ・ミッチェル(ドラムス)、ノエル・レディング(ベース)とバンドを組んだ彼は、何度かジャム・セッションを行なったあと、今から51年前ということになる1966年10月23日、ソーホーの小さなスタジオで最初のシングル「ヘイ・ジョー」のレコーディングに臨んだのだった。そして、それが当時の一般的な制作スタイルではあったものの、その日のうちに、この、長く聴き継がれていくこととなる曲を完成させてしまっている。

 シングル「ヘイ・ジョー」のイギリス発売(12月半ば)を待たずにジミと彼のバンド、ジ・エクスペリエンスは何度かライヴを行ない、当時のロンドンのロック・シーンを牽引していたアーティストたちに衝撃を与えた。

 ビートルズやストーンズのメンバー、クリームの中心人物だったエリック・クラプトンも例外ではなく、「とんでもないヤツがやって来た」という噂が急速に広まっていく。ポール・マッカートニーに推薦され、ブライアン・ジョーンズに紹介されてモンタレイ・ポップ・フェスティヴァルのステージに立ったのは、それからわずか半年後のことだった。

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