こうした電報は、暗号に翻訳され中央に打電される。軍人外交官の妻である百合子は、暗号の翻訳と管理、電信係の仕事を担っていたという。
1985年(昭和60年)に放映されたNHK特集「日米開戦絶対不可ナリ ~ 小野寺大佐発 ~ 至急電」のインタビューに応える百合子の映像が残されている。
「金庫とはどんなに精巧に作ったものでも、所詮、人間がつくったもの。2時間あれば開き得る。だから2時間以上の外出はしなかった。昼はいいけれど、晩のご飯が向こう(スウェーデン)は長い。だから暗号書など重要な書類を入れるそれ専用の腹巻を作り、帯の中に入れてました。そうするとちっともわからない」(NHK特集「日米開戦絶対不可ナリ」から)
戦前から戦中のスウェーデンは、各国のスパイが暗躍し、激しい情報戦が繰り広げられた。その真っただ中に百合子もいた。軍人外交官の妻として華やかながらも緊張感に満ちた当時の生活は、百合子の著書、「バルト海のほとりにて―武官の妻の大東亜戦争」(小野寺百合子著・朝日文庫)に詳しい。
<私は相変わらず夜は着物いってんばりで通したが、アフタヌーンドレスやスーツ、それに合わせた帽子や靴をつくらなければならない(中略)当時のディナーというのは夕方六時か六時半の招待で、お開きは十二時過ぎだった。サロンでの食前酒からはじまるが(以下、略)>