週刊朝日7月6日号で、読売新聞社の体質や報道姿勢を厳しく指摘したジャーナリストの鳥越俊太郎氏と元巨人軍GMの清武英利氏。今回の両氏の対談では、清武氏と原辰徳監督との間に生じた"摩擦"と、清原和博選手の現役時代、球団内で何が起きていたかなどの内幕が明らかになった。

*  *  *

鳥越:今回の問題の背景として、原監督と清武さんの「不仲」が囁(ささや)かれていました。

清武:短期的に戦力補強したい監督と、3年、10年での中・長期的育成を考えるGMの立場の違いがあり、時に摩擦が起きるのもしかたないと思います。ただ、大金で4番打者ばかり集め、他球団のファンから「強奪球団」なんてヤジられるのは、やっぱり悔しい。

鳥越:監督は「完成品」を他球団から引っ張ってきたがりますからね。そのわりに勝てなかったりして。これまでのGMや球団代表と、監督にはそういう摩擦はなかったんですか。

清武:各球団とも代表の在任期間が短かったですからね。どんな仕事かよくわからないまま、次の世代に交代していったんでしょう。僕は7年もやりました。厳しい言葉で言うと、よそからとった選手は、どうしても早く「寿命」が来てしまう。時にチーム内の不協和音の原因にもなるんです。渡邉(恒雄・読売新聞グループ本社会長兼主筆)さんが無計画にとった選手について、僕は「切る」役目を背負わされた。特に、清原和博の一件で悲しい思いをして、懲りました。

鳥越:清原選手は、あのとき、感情を害し、切られたという思いでオリックスに行きましたもんね。

清武:「若手のためにも、君を使えない」とホテルで伝えたとき、清原は悔しさのあまり、「ここから飛び降りる」と言ったんです。以来、僕は、巨人にはエリートは大勢いるから、非エリートを育てれば負けないチームになると考え、「育成制度」を取り入れました。

※週刊朝日 2012年7月13日号