教団は事件当時、追い込まれていた。
1994年6月に長野県松本市内で猛毒ガス・サリンを噴霧し(松本サリン事件)、翌年2月には目黒公証役場事務長の仮谷清志さんを拉致して、監禁、死亡させる事件を起こした。
仮谷さんの事件後、警察は本格的な捜査を開始し、新聞や週刊誌などでも教団が事件に関与しているとの報道が大々的になされた。
こうした状況から「警察による強制捜査が行われるのではないか」との危惧を抱いた麻原彰晃教団代表は、事件発生2日前の3月18日未明、幹部の村井秀夫、井上嘉浩らを麻原専用のリムジンに乗せ、車内で話し合った。
村井は、「(強制捜査をさせないためには)阪神大震災に匹敵するほどの事件を引き起こす必要がある」と示唆し、地下鉄電車内にサリンを散布することを提案した。
麻原は「それはパニックになるかもしれないなあ」と応じ、村井に総指揮を命じた。
※週刊朝日緊急増刊 オウム全記録
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