どうすれば小泉今日子のように、齢とともに魅力を増していけるのか―― その秘密を知ることは、現代を生きる私たちにとって大きな意味があるはず。
日本文学研究者である助川幸逸郎氏が、現代社会における“小泉今日子”の存在を分析し、今の時代を生きる我々がいかにして“小泉今日子”的に生きるべきかを考察する。
※もしも「なんてったってアイドル」を松田聖子が歌っていたら(中)よりつづく
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あの時代、女性アイドル歌手のトップを争っていたのは、松田聖子と中森明菜です。
松田聖子は、「かわいい女の子」を誰の目にも「演技」とわかるかたちで装うこと――かわいこぶりっこ――で有名でした。そんな松田聖子が「なんてったってアイドル」を歌ったら、聴かされる側は「何をいまさら」と思ったことでしょう。手品が超能力でないことをわかっているからこそ、観客はマジシャンに「種も仕掛けもないふり」をすることを求めます。演者が率先してネタばらしをするようでは、虚構を虚構として楽しめません。
「天才シンガー」だった松田聖子に対し、中森明菜は「歌の作中人物」になりきる「歌う名女優」でした。映画やドラマに出演すると、松田聖子は「歌手の余芸」を出ないのに、中森明菜は見る者を引きつけます。歌唱力抜群といわれるふたりですが、うまさの質は違うのです。
歌に描かれた世界と、歌い手当人の内面が重なり合い独特の迫力が醸し出される。中森明菜の本領はそこにありました。「なんてったってアイドル」は、歌詞も曲調もポップで、中森明菜の「情念」を託する器には不向きです。
「伊代はまだ十六だから~」とデビュー曲で歌った松本伊代はどうでしょうか。彼女の魅力は、「ほうっておいたらどうなるかわからない危なっかしさ」、今でいう「ドジっ子」属性です。そんな「無意識過剰」の松本伊代に、「アイドルは~、やめられない~」という確信犯的告白は似合いません。
ここで逆に、「なんてったってアイドル」を歌っても受け入れられるアイドルの条件をあげてみます。