昭和球界の大スターだった長嶋茂雄が、徹底して「自分が今、ファンのためにできるベスト」を追求していたことは有名です。調子が悪くて打てないときは、三振した瞬間にヘルメットを飛ばして球場を沸かせようとしていたとか(そのために、ヘルメットのかぶりかたの研究までしていたそうです)。
長嶋茂雄や小泉今日子のようなやりかたを続けていくと、自分のなかに「プロデューサー視点」が生まれます。「私」という素材をどう使えば他人に貢献できるのか。それを考える「もうひとりの私」が育つのです。そういう視点を持つようになった人間は、自身の価値の見積もりが驚くほど正確です。
バブル時代の「勘違いに陥った人々」は、称賛や利得を集め、自分の重要性を証明しようとしていました。まなざしを向けているのが「自分」なのか、「周囲」や「みなさん」なのか。「勘違いに陥った人々」と小泉今日子のような「プロ」の、いちばんの違いはそこにあります。
80年代に青春を送り、華やかな思いをした女性のなかには、いまを生きるのに苦しんでいる人がいます。かつてのようには称賛や評価を得られなくなり、かといって現状をどうやって変えられるかわからない――そんな袋小路に迷いこんでいる「バブルおねえさん」は多いのです。そうした女性はたいていの場合、容姿やセンスもすぐれていて、ほめられる要素を揃えています。それなのに絶賛されないのは、何をするにも自分の存在証明にとらわれていて、「相手がして欲しいこと」をやれないからです。
小泉今日子のように「周囲」や「みなさん」に目を向けるようになったら――苦悶する「バブルおねえさん」たちにも、新生のときがやって来ることでしょう。そういう成り行きになることを、同世代のひとりとして、私も望んでやみません。
※助川幸逸郎氏の連載「小泉今日子になる方法」をまとめた『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)が発売されました
助川 幸逸郎(すけがわ・こういちろう)
1967年生まれ。著述家・日本文学研究者。横浜市立大学・東海大学などで非常勤講師。文学、映画、ファッションといった多様なコンテンツを、斬新な切り口で相互に関わらせ、前例のないタイプの著述・講演活動を展開している。主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『光源氏になってはいけない』『謎の村上春樹』(以上、プレジデント社)など