*誰からも有名アイドル歌手と認められていること


*露悪的な「ネタばらし」や「本音の告白」をしても許される「アバンギャルドなイメージ」があること
*自分がこれまで演じていたキャラが虚構だとみなされても人気を失わないこと

 やはり小泉今日子こそ、この曲を歌う最適任者だったことがわかります。当時の小泉今日子は「女の子に好かれる人気女性アイドル」という前例のない立場にありました(拙稿『小泉今日子が“女の子”に支持された理由』<dot.[ドット]朝日新聞出版>)。誰もが知っているほど有名なうえ、アバンギャルドなイメージもあったのです。

 そして、「女性アイドル歌手」に理想化されたイメージを抱き、それが壊されると怒るのはたいてい男性です。女の子人気に支えられた小泉今日子なら、キャラに虚構が入っていると公言しても、ファンを一挙になくす心配はありません。

「なんてったってアイドル」は私にしか歌えない、という小泉今日子の自己分析は、恐ろしく的確でした。彼女の「自分が見えている」ぶりには、驚嘆のひと言です。

■長嶋茂雄に通じるプロ意識

 冒頭で触れた『アッコちゃんの時代』の主人公は、「ふつうの女」のまま「大きな特典を受ける」ことを望んでいました。彼女の関心は、他者からどれだけ称賛や利得を引き出すかにあります。

 小泉今日子は、このヒロインと対照的です。

「客観的に見て『この曲を歌えるのは私だけだろう』っていう自信はあったし、そういう“周囲の期待”を感じてはいた」

「“みなさんにとって”ちょうどいいカッコよさを探れたんでしょうね」

 小泉今日子の目線は、「周囲」や「みなさん」に向けられています。自分の属するチームのなかで演じるべき役割を果たし、お客を喜ばせる。仕事をしているときの彼女は、常にそこを意識しているようです

 こうした姿勢は、他人に振り回されているとか、媚びているというのとは違います。評価やもうけを得るために相手の顔色を窺うのが「振り回されている」とか「媚びている」とかいう状態です。小泉今日子は、「自分が今、相手のためにできるベスト」を見きわめて実行に移すことを目指しています。それをやり遂げるうえで、評価やもうけへのこだわりは邪魔になります。

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