今年9月に設立110周年を迎える近畿日本鉄道(近鉄)。記念すべき年にふさわしい看板特急「ひのとり」は、新型コロナウイルスの影響でひっそりとした運転開始になってしまった。そこで、名古屋と大阪を結ぶ近鉄の名阪特急の歴史を、名阪間が電車で結ばれた1938年から今日まで、「ひのとり」よろしくハイスピードで振り返る。ここに出てくる鉄道会社は、いずれも現在の近鉄になっている。
■合併や新会社の設立で大阪と名古屋を結ぶ私鉄路線が完成
近鉄は、1910年9月16日に設立された奈良軌道株式会社を起源とする。同年10月15日に大阪電気軌道(大軌)に社名を変更し、以後、合併と分離を重ねて今に至る。
最初に大阪(上本町)~奈良間を開業。続く自社路線として、途中の西大寺(さいだいじ)から分岐する橿原(かしはら)線(開業時は畝傍<うねび>線)が1921年に開業する。
敷設免許(線路を敷いてよいという国の認可)を受ける際には、現在の田原本(たわらもと)線を所有する大和(やまと)鉄道の営業に影響を与える場合は買収に応じるように条件が付けられていた。
大軌の開業で大和鉄道の収入は大きく影響を受け、大軌に買収されることとなった。買収後の大和鉄道は、名張から宇治山田までの敷設免許を取得。
一方、大軌は桜井~宇治山田間の建設のために子会社、参宮急行電鉄(参急)を設立した。さらに大軌は、同じ頃に伊勢方面の路線延長に備え、布施から分岐して八木(現・大和八木)を経由して桜井まで線路を延ばす、現在の大阪線を開業した。
大和鉄道の免許権は参急に譲渡され、参急が桜井~宇治山田間の工事を行った。この方法は取得済みの敷設免許を延長する形となるため、新規に申請するよりも認可を得やすい利点がある。
同様の方法で、三重県にあった中勢(ちゅうせい)鉄道を買収し、同社が中川(現・伊勢中川)~久居(ひさい)間の敷設免許を申請し、工事開始後に免許権を参急に譲渡している。久居~津間は参急が開業した路線で、敷設免許は桑名まで取得していた。
津までの開業当時、参急の東隣にある現在のJR津駅を挟んでさらに東側に、桑名と伊勢神宮の外宮に近い大神宮前を結ぶ伊勢電気鉄道(伊勢電)があった。