伊勢電は名古屋と伊勢神宮を結ぶため路線延長を繰り返していたが、桑名~名古屋間の敷設免許を得つつも、木曽川・揖斐川を前に桑名までの開業となっていた。しかし、その後経営不振となり、1936年に伊勢電は参急に合併された。

■電車特急で結ばれた大阪と名古屋。ただし、乗り換えが必要

 桑名~名古屋間は、参急と伊勢電が出資する関西急行電鉄により建設され、1938年6月26日に開通した。直前の6月20日には、津から急曲線のS字カーブで旧伊勢電の路線と接続する区間が開業し、大阪~名古屋間が電気鉄道で結ばれた。

 とはいえ、大阪~中川~江戸橋間は標準軌(1432ミリメートル)、江戸橋~名古屋間は狭軌(1067ミリ)と線路幅がことなるため列車は直通できず、乗客は江戸橋で乗り換える必要があった。

 当時の特急のメインルートは伊勢神宮への参拝客輸送で、大阪~宇治山田間の列車だった。そのため、名古屋発着の列車に連絡する車両が大阪~宇治山田間の列車の大阪側1両目に連結され、この車両を中川で切り離して江戸橋とを結んでいた。そこで、同年12月に中川~江戸橋間を1067ミリに改軌し、中川駅で乗り換えができるように変更された。

 名阪全通後の会社をめぐる動きは大きく、1940年1月に参急が関西急行電鉄を合併し、1941年3月に大軌が参急を吸収し、名称を関西急行鉄道(「電鉄」ではない)に変更した。

 さらに1944年3月、戦時期の交通統制により、関西急行鉄道と南海鉄道(現・南海電鉄)が合併し、現在の近畿日本鉄道(近鉄)となった。

 戦後、1947年6月に南海が分離。同年10月8日から名阪特急が運転を開始した。特急の運転区間は大阪線が大阪~中川間、名古屋線が名古屋~中川間で、中川で乗り換えが必要だが、名阪間を1日2往復、所要時間は4時間3分で結んだ。翌

 48年の正月には中川~宇治山田間の延長運転が開始され、戦前の特急運転区間が復活した。

 当時は特急に列車名はなく、乗客に特急乗車記念絵はがきを配布し、これに付いた愛称応募票で愛称を募集。

 1947年12月から名古屋線が「すゞか」、大阪線が「かつらぎ」と決定した。1952年3月に増発され、名古屋線の午前出発の2本が「すずか」、午後出発の2本が「あつた」、大阪線の午前出発の2本が「かつらぎ」、午後出発の2本が「なにわ」に改称された。名阪特急の愛称は、後に名古屋線に「おわり」、大阪線に「あすか」が加わった。

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