そこには、皇位継承は政府が検討する問題という難しさがあった。
皇室の将来の不安をよそに、愛子さまのご成長は、雅子さまのご快復にとってもとても大切なものだといわれてきた。
世継ぎ問題で悩まれた末にご誕生されたお子さまが男子ではなく内親王だったため雅子さまは複雑な思いをされたといわれた。敬宮愛子という名前は由来どおり「人を愛する者は、他人も常にその人を愛し、人を敬う者は、他人もその人を敬う」という両陛下の思いが込められていた。
両陛下は「一つの命を大切に育んでいくことは親としての使命」だと知人に語ったように、子育てに関わられてきた。
愛子さまが1歳のときに雅子さまはお体の異変を感じられて、部屋の壁に寄りかかりながら愛子さまの遊ぶ姿を見守られていたことを思い出す。そんな中、宮内庁の中やマスコミから愛子さまは「挨拶ができない」など誹謗中傷する声もあった。両陛下の躾が疑問視されたのである。小学生で学校に行けなくなったときも雅子さまはほぼ毎日付き添い登校を続けられた。陛下も公務の前後に送迎なさることもあり、「母子密着」「異常な親子」と批判を受けたこともあった。
当時、雅子さまは文書会見の中で「自分ができる事の最善策でした」と苦しい胸の内を綴られている。
両陛下はなぜ学校生活を重要視されたのか──。それは、両陛下の学校生活の思い出がとても良いものだったことや、現在でも続いているご友人との関係が大切なものだったからだといわれた。愛子さまも皇室という特別な環境でお育ちになる中で、学校生活の中の行事や一般のお友達との関係は、人間形成の上でも大人になってからも続いていく、とても大切な存在だったという。
学習院女子高等科2年生のときに英国イートン校のサマースクールに参加されたのも、英語を学ばれる目的だけではなく、かけがえのない時期に親元を離れて学校のお友達同士で良い思い出を作ることも大切という両陛下のお考えからだった。帰国した愛子さまは一回りも大きくなったような気がしたと宮内庁職員は語っていた。