経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
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安倍政権による「検察庁法改正案」国会ごり押し通過のたくらみが、ひとまず、頓挫した。民主主義パワーの勝利だ。しかもその後に、渦中の人である黒川弘務検事長の賭けマージャン問題が明るみに出た。これで、政府のとんでもない陰謀が完全に葬り去られたとみるのは、甘いかもしれない。だが、彼らが相当に追い詰められたことは確かだ。
この陰謀がたくらまれたことによって、明らかになった点が一つある。それは、この政権がどこまで行っても「一体化」が大好きだということである。決して一体化してはいけないものを一体化する。この禁断の一体化が、この人たちの趣味なのである。悪趣味なことだ。
彼らは、この間、一貫して財政と金融の一体化を目論んで来た。安倍首相は、「政府と日銀の関係は親会社と子会社の関係」だと言い放って憚(はばか)らない。金融政策とは、政府の言うがままにカネを作り出すこととみつけたり。財政資金需要に応えることこそ、金融政策の役目なり。
この構えの下で、禁断の財政ファイナンスを、それと認知しないまま、常態化させてきた。だからこそ、この新型コロナの災禍の中で、緊急対応として財政ファイナンスを例外的に容認してくれと言えないのである。それを言えば、今まで、平時に決してやってはいけないことを、実はやっていたという事実が判明してしまう。さらには、緊急事態が収束すれば、このやってはいけないことをやめなければいけない。日頃から脱法行為をやっていると、こういう窮地に追い込まれる。思い知るべし。
だが、思い知ることなく、彼らはひたすら一体化を追求する。今回、彼らがやろうとしたのが、「検察と官邸の一体化」である。政治が司法や検察に介入するなどというのは、ファシズム政治がやることだ。財政と金融の一体化は、経済ファシズムに他ならない。
行政府が金融と財政を一体化させようとして、さらには検察と官邸を一体化させようとする。その意味で、これは行政ファシズムだと言ってもいいだろう。次は何と何の一体化を目指そうとするのか。次の一体化陰謀もまた、民主主義パワーではじき飛ばさなければいけない。
※AERA 2020年6月1日号