家に帰っても妻がいない。それはその当時は非常に珍しいことでしたから、逆に夫が自由を楽しんでいるようにも見えました。でもその一方で、本当は「家できちんと料理を作ってくれる妻」に憧れている部分もある。それが、夫のふとした言動から私にはわかってしまうのです。

「いまだったら、あなたはきっといい再婚ができるはずよ」と、私は繰り返し繰り返し言いました。

 でも夫は頑として、離婚に同意しません。そして必ず言うのです。

「離婚だなんて、娘はどうするつもりなんだ。体裁だって悪いじゃないか」

 離婚したら、娘は母親である私についていくだろう。そこが夫には引っかかるのです。

 そうやって私と夫とをつなぐ「娘」が留学先へと巣立っていったときが、私たち家族の「変わりどき」でした。

「俺はいまの家にいるよ。家に郵便物がたまったら、時々こうやってあなたのマンションに届けてあげるよ」

 そう言って、夫は私の25回目の引っ越し先から帰っていきました。それから20年後に夫が亡くなるまで、再び私たちが同居することはありませんでした。

 ただ、別居をしてからのほうが、互いに気が楽になった部分があります。私たち夫婦は1カ月に1回はレストランで食事をしました。食事をしながら3時間くらいしゃべって、またそれぞれの家に帰る。それは傍(はた)から見れば変わった夫婦だったかもしれませんが、よく会話し、仲もよかったように思います。

 子どもが巣立ち、私たちはもう「父」と「母」として常にセットでいる必要はなくなった。そして「夫」と「妻」としてセットでいる必要もなくなったのです。

 でも「家族」は「家族」なのだから、「家族」としての関係は続けていこう。もうお互いにこの関係性が必要なくなったから離婚しましょう、ではなく。そういうスタンスをお互いに持てたのが、よかったのかもしれません。

「ひとりひとりが『家族の分子』として『分離』するけれど、何かあったときは必ず私がめんどうみるからね」

 私がそう夫に声をかけたとき、夫は静かに笑っていました。

 家族の形というものも、家族の歴史と共に変わっていくのが当たり前なのかもしれません。そしてそれは本当に、その家族にしかわからない「あ・うん」の呼吸で変わっていくもの。ときにはそんな「あ・うん」の呼吸のほうを、常識よりも優先するときがあってもいいのかもしれません。

 いつの時代も、外野はうるさいものです。でも、時には聞こえないふりをすることがあってもいいのではないでしょうか。手のつなぎ方は、それぞれ。決めるのは結局、当事者同士なのですから。

【しなやかに生きる知恵】
「離婚」ではなく「分離」そんな夫婦の形もある

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