人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、新型コロナウイルスの影響で失われていく「文化」について。
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青森県の弘前に住む友人から手紙が来た。長らく暮しの手帖で原稿等を書いていた女性で、独得の文体のエッセイを書く。水茎の跡うるわしい墨字で、青森と五所川原のカルチャーセンターが閉校になったことを伝えていた。
新型コロナウイルスのせいで各地の文化センターが消えていっているという。
彼女は長らくエッセイ教室の講師を務めていたが、二十四日が最終日になった。
そこで記念文集を出すことにして編集から印刷までみな自分たちの手弁当でやったそうだ。私の講演を聞いて私のことを書いてくれた人もいる。
片山良子さんというその同い年の友人は、かつて私が弘前に講演に行った時に、担当者が空港からまっすぐ連れていってくれた林檎園の女主人であった。手作りの昼食でもてなされ、もともと東京から疎開で弘前に来たという彼女とすっかりうちとけた。
岩木山の麓に広がる林檎園へ私を連れていってくれるという。麦わら帽子をかぶりすっかり林檎園の少女になって、その年一番早く収穫する茜という小ぶりの林檎を見に行った。
無袋林檎という袋をかぶせず自然に近い栽培法なので、日の当たる側が紅くなったら、日陰の部分を日に当てるために、手で軸をまわしてやる。
茜はこぶしほどの大きさで真紅の皮に包まれた肌は蒼白いほどの白さである。少し酸っぱくて昔からある林檎の味がする。かもしかが岩木山から降りてきて顔を出す刻もあるとか。
それから何度通ったろう。五月頃、桜を追って裾野一面が霞のように白くなる林檎の花をどうしても見たくて訪れたことも。真白い花なのに染めると黄色くなるという。
彼女が暮しの手帖社からエッセイ集を出すことになった。『明日も林檎の樹の下で』というタイトルで、私が会員の国際文化会館で出版記念会を開くことになった。