私は内心、この人はきっと作家になるだろう。でなければ、出版社を造って、社長になるかも──と思っていた。

 ヨコオさん、私の直感は、かくの如く凄(すご)いのよ。ヨコオさんの文学的才能をいち早く認めたのも、私だったことを忘れないで!

 井上光晴さんが、いきなり電話をかけて、ヨコオさんにはじめての小説を書かせたのも、私が井上さんに、

「天才がいるよ。若いけれどホンモノよ、あなたの雑誌“辺境”に彼の最初の小説を貰(もら)いなさい。歴史的事件になるよ!」

 とわめいて、井上さんが何の紹介も持たず、いきなり、あなたにあの大声で電話をかけた次第だったのです。

 私は昔から、天才が好きで、天才に憧れていました。未来の天才の若きヨコオ青年の身内にひそむ天才の本質を、すでに私は、見抜いていたというわけです。(もっと、尊敬しろ!)

 泉鏡花賞に至っては、ヨコオさんの偏見と誤解をどう解くかになやんでしまう。あのね、聞えない耳に補聴器をつけて、よっく聞いて! 私は泉鏡花賞が、一九七三年に鏡花の故郷の金沢市に出来た時から、「選者の一人」でしたのよ。

 金沢市長のお嬢さんと結婚した五木寛之さんが涙ぐましい努力をして、鏡花賞なるものを立ち上げたのですよ。正賞は八稜鏡というもので、副賞は百万円でしたね。思い出した?

 私は選者を十五年くらいつとめてやめさせて貰いました。その時の挨拶に、

「選者は、この賞を貰えないので、選者を辞めて、この賞を必ず貰います」

 と言いました。冗談が本当になって、やがてこの賞を貰いました。ハイ、ヨコオさんより、ずっと、ずっと、後年からです。鏡花も、金沢も、五木夫妻も、とてもいい! もちろん鏡花賞も!!

週刊朝日  2020年7月24日号

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