半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
* * *
■横尾忠則「エッヘン 泉鏡花賞はセトウチさんより前に」
セトウチさん
本誌に大昔から連載されている「コンセント抜いたか」の嵐山光三郎さんが、われわれ二人の「ナイショ文」を真っ先に読んでいると「コンセント」の中で書いてらしたのを読みました。嵐山さんがこれも大昔に編集者だった時代にわれわれの担当編集者だったんですよね。そんな話を「コンセント」の中で、事細かく書いていただいて、僕は「ヘェーッ」「アッ、ソーナンダ」と初めて聞くようなふりをして、記憶の皮膚を一枚一枚剥がされていく快感にしばし酔いました。
嵐山さんは、このエッセイの中で僕の書いた「ぶるうらんど」と題した小説に触れて下さっていました。題名の「ぶるうらんど」はセトウチさんに「横文字のタイトルにして、その横文字を平仮名にしなさい」と言われて「ぶるうらんど」というタイトルにしました。実は小説の処女作は、70年代の初めに井上光晴ら監修の文芸誌「辺境」に書いたものです。
ある日のこと。「私は小説を書いている井上光晴という者だけど、あなたが書いたお母さんのエッセイみたいなものを200枚に伸ばして小説にしてくれませんか」「一度書いたものは書けません」「だったらお父さんでいいじゃないですか」。母が駄目なら父があるさ、みたいな目茶苦茶(めちゃくちゃ)な頼み方でした。いくら断っても、電話を切ってもらえない。電話から逃れるためには引き受けるしかない。そして書きましたわよ。そしたらまた、「二作目も書きなさい」と電話。大きい声で怒鳴られているようで恐ろしくなって、これも引き受けましたわよ。
で後でわかったのは、セトウチさんに話した母の死の話を、井上さんにして、「ヨコオさんに小説を頼みなさい」で始まった話である。あれっ!? この話、本誌で書いたかな? まあいいや、年を取ると何度でも同じ話をするんだから。その後「文學界」に3本書きました。現在、「ぶるうらんど」と4部作で、中公文庫になっています。そして今も、すでに1年続いている「原郷の森」という小説を「文學界」に連載しています。僕が小説を書くのは倒れそうな絵を立て直すためです。