長々、小説のことを書いてしまいましたが、泉鏡花文学賞はどのくらいの値打ちのあるものか知りませんが、受賞者の大半が芥川賞や直木賞を獲ったプロであることを考えると大した賞でしょうね。嵐山さんは僕の二年前に、そしてセトウチさんは僕の三年後にこの賞を貰(もら)っています。セトウチさんより先(さ)きに素人の僕が貰ったことが鼻が高くって、セトウチさんの受賞の、お祝いの電話で「おめでとうございます。でも言っときますけどね、素人の僕の方が先きに頂いているんですよ。ウェッ、ヘッ、ヘッ」と大自慢したものです。でも、どうころんでも作家になるつもりはないので、このくらいの自慢は許して下さい。まあ、「このこ憎らしい奴!」と思われたかも知れません。

 でも小説が面白かったのは、構想もないのに、次々と場面が絵のように浮かんでくるので、忘れないうちにどんどんスケッチしていく作業に似ています。そんなわけで、「ぶるうらんど」は一日で書けちゃいました。「ウソ!」じゃないです。

■瀬戸内寂聴「ヨコオさんの文学的才能 見抜いたのは私」

 ヨコオさん

 今回の手紙は、はからずも「小説」の話になって面白いですね。それに、嵐山光三郎さんが出てきたので、思わず「ヨーッ」と叫んで、おでこを叩(たた)いてしまいました。

 嵐山さんの名前で書かれた活字の文章は、目につく限り、すべて読んでいます。別に義務があるわけでなく、彼氏の作文は、何を読んでも、断然、面白いからです。第一に、文章がよろしい。内容が気が利いている。必ず途中で笑わされる。すべてが粋である。こんな文章を見逃すのは、よっぽど運が悪いか、アホーな人間である。

 仰せの如(ごと)く、嵐山さんは、物書きになる以前は、雑誌「太陽」の編集長だった。私もヨコオさんも、その頃の嵐山さんが初対面であったようですね。嵐山さんは三十代になっていたのだろうか。粋で、おしゃれで、言動のすべて、気が利いていた。向かい合うと、いつの間にか、自分が常以上のおしゃべりになり、あること、ないこと、面白おかしく喋(しゃべ)くり廻(まわ)っている。喋り疲れて口を閉ざすと、間髪を入れず、

「では、その話を、六枚のエッセイにまとめて下さい。締切は××日です」

 とか言う。こうして、私はいくつエッセイを「太陽」に書かされたことか。取材の旅に何度一緒に出掛けたことか。

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