詳細なメカニズムを調べた結果、Q神経がグルタミン酸を使って信号を送り、冬眠機能を働かせるスイッチの役割を担っていることもわかった。ちなみに今回発見、命名された「Q神経」の由来は英語のQuiescence(休止)、QRFPのQのほかに、日本語の「休眠」の“休”の音にもかけている。
哺乳類は普段、体温を37度前後に保っている。恒温動物のなかにはエネルギー消費を最小限に抑えるため、寒い時期や食べものが少ない時期などには自らの代謝を落として「究極の省エネ状態」にすることで、通常であれば組織障害が出るほどの低体温になりながらも生命を維持する仕組みを働かせるものもいる。この制御された低代謝を「休眠」と呼び、24時間以内の休眠を日内休眠、季節性で24時間以上続く休眠を「冬眠」と呼ぶ。マウスは、冬眠はできないが飢餓や寒冷下に長時間さらされたときに日内休眠をすることが知られている。
今回、冬眠も日内休眠もしないラットでも冬眠に似た低代謝を確認できたことや、人間にもQ神経が存在することから、人間を含めた他の哺乳類でも同様の機能が存在する可能性が導かれた。つまり、Q神経を人為的に刺激することで、人間のような冬眠をしない動物でも冬眠を誘導できる見込みが強まったというわけだ。
人間の人工冬眠技術を確立できれば、危機的な重症患者を搬送して治療を始めるまでの間、人体の酸素やエネルギー需要を安全に低下させ、臓器や組織が受けるダメージを最小限に食い止めて救命率アップに貢献できる可能性がある。さらに筋萎縮の治療などへの応用や、酸素や食料が限られた状態で長期間飛行する有人宇宙探索にも生かせると期待されている。
人体に応用する上では課題もある。今回の研究では、あらかじめQ神経を刺激できるように遺伝子操作したマウスを使用した。人体を遺伝子操作するわけにはいかないので、人体への応用には、Q神経に限定して作用し、冬眠を誘導する薬を作り出すことが不可欠となる。
櫻井さんは創薬は数年で可能とみているが、人体に使用するには治験が不可欠だ。櫻井さんは、覚醒をつかさどるオレキシンを発見してから、薬の実用化まで18年かかったことを念頭に、「最低20年はかかる」との見通しを示す。
マウスの場合、Q神経を刺激して冬眠状態に誘導する注射を1回打てば30時間余の「冬眠」に入ることが確認された。Q神経を刺激する薬が実用化された場合、理論的には一定時間ごとに注射し、点滴などで水分と栄養を補給できれば、長期の冬眠状態を維持できるとみられる。
ただし、冬眠中も老化が全く進まないわけではない。
「冬眠中は代謝レベルが著しく下がり、生命活動自体がスローモーションのような形になるため、老化の速度は遅くなると推定されますが、止まるわけではありません」(櫻井さん)
人工冬眠は死や病気を遠ざける技術として期待はかかるものの、「不老不死」を実現するものではないのだ。(編集部・渡辺豪)
※AERA 2020年7月27日号より抜粋