麻丘さんは大阪の出身。4歳上の姉が幼稚園の頃から劇団で活躍していたこともあって、本人も3歳のときに梅田コマ劇場で初舞台を踏んだ。
やがて姉は歌手志望が強くなった。その夢をかなえるべく、サラリーマンの父を残し、母と姉妹の3人で上京。麻丘さんが小学5年生のことだった。風呂もないアパートでの暮らしに、子ども心にもショックを受けたという。少しでも生活の足しになればと、中学に入ってからはティーン誌でモデルの仕事を始めた。
残念なことに姉は歌手として大成しなかった。一方で麻丘さんは、姉と同じレコード会社からスカウトされた。あるディレクターが赤坂東急ホテル(現・赤坂エクセルホテル東急)で雑誌の撮影中に見かけ、声をかけたのだった。
役者志望だった麻丘さんは歌手になる気はなかったが、姉の立場も鑑みて「1枚だけ」のつもりでレコーディングに応じた。
そのデビュー曲「芽ばえ」(72年)が、42万枚もの大ヒットとなった。
本人は欲がなかったが、出す曲は次々売れた。5曲目の「わたしの彼は左きき」でトップアイドルの地位を不動のものとした。
アイドル時代のエピソードとして、「8時だョ!全員集合」での苦労話を披露してくれた。
「あの番組は奇跡です。あんな大掛かりなことを、生放送でやっていたんですから。前日まで緻密(ちみつ)にリハーサルを重ねて、当日も何度も繰り返して、本番。でもコントの場面で、志村(けん)さんや加藤(茶)さんは、お客さんの反応を見ながらアドリブをやります。コントが長くなっちゃうと、歌の時間が削られてテンポが速くなるんです。『左きき』のイントロを聞いて『え、今日はこんな速く歌うの?』とあせることも。晩年の志村さんと『よくあんなことやってたよねえ』と笑い合いました」
苦笑するしかないエピソードは、ほかにもたくさん。
「私、一度もインタビューを受けたことがありません。記事は編集部の人が勝手に書いたんです。私はラーメンが好きなのに、記事の中では『好きな食べ物はパフェ』となっていたり」
>>後編【「芸能界の怖さと電撃結婚」70年代トップアイドル・麻丘めぐみが明かす】へ続く
(本誌・菊地武顕)
麻丘めぐみ(あさおか・めぐみ)/1955年、大分県生まれ。大阪府出身。3歳で初舞台を踏む。モデルを経て、72年に「芽ばえ」で歌手デビューし、レコード大賞最優秀新人賞に輝く。翌年の「わたしの彼は左きき」が大ヒット。結婚を機に引退したが、83年に復帰。女優として活躍し、2000年から演劇集団「シアタードリームズ・カンパニー」を主宰
※週刊朝日 2020年8月7日号より抜粋