その後、食道がんが再発し、98年と2003年にも手術を受けている。

 その合間には、こんな事件もあった。98年12月に長野県飯田市で開かれた落語会で、最前列の男性が眠っていたため、談志さんは、
「寝ているのはかなわねえ」
 と、高座を中断。男性が「落語を聞く権利を侵害された」と主催者を相手取り、10万円の損害賠償を求める訴えを起こしたのだ。

「基本的には落語は寝ながら聞くもんじゃない。まして立川談志の落語はネ。……もしどうしても眠くなって寝るというなら、演者の邪魔ンならない場所で寝ろ、ですよ」

 請求は棄却され、談志さんはこう語った。

「裁判長には、客と芸人の空間を大切にしてくれたことを感謝しています」

 食道がんに続き、08年には喉頭がんを患い、09年8月には糖尿病が悪化した。翌10年4月に高座に復帰したものの、同年11月に喉頭がんが再発し、余命2、3カ月と宣告された。

 今年3月、一門会で披露した「蜘蛛駕籠」が最後の高座となった。間近でその様子を見ていた立川キウイさんは言う。

「体調が特に悪くなってからは、一席一席ネタを変えていた。毎回これが最後だと思って高座に上がっていたんじゃないでしょうか」

 一門会の後、気管を切開して声が出なくなり、筆談がコミュニケーションの手段となった。前出の田中さんは、こう振り返る。

「知人に『食事ができない。話もできない。俺はもうダメだ』という手紙を送るもんだから、本人に聞きづらくてみんな私に様子を尋ねてくるんです。返事に困りましたよ。以前は『がんもどきにやられてる』と笑っていたんですけどね」

 それでも、8月には談志さんを交えた一門が田中さんの店に集まった。家族らに支えられて店に入ったが、壁にもたれかかってつらそうな様子だったという。弟子や友人とは、これが最後の別れとなった。

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