「かおる姫」と呼ばれた菅山かおる (c)朝日新聞社
「かおる姫」と呼ばれた菅山かおる (c)朝日新聞社
長年日本代表を支えた木村沙織 (c)朝日新聞社
長年日本代表を支えた木村沙織 (c)朝日新聞社

 いつの時代も強く清らかで美しい女子アスリートは存在する。なかでも1964年の東京オリンピックで金メダルを獲得した『女子バレーボール』は、国民から人気の団体スポーツであり、時代のヒロインを生み出してきた。

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 1980年代後半から1990年前半の人気絶頂期に注目を浴びたのは、現在もタレントとして活躍している益子直美。日本代表のユニフォームを身にまとい、スレンダーで可憐な容姿から想像つかないパワフルなプレーで旋風を巻き起こした。

 その益子と同じイトーヨーカドー所属(現在は休部)でブレイクしたのが、斎藤真由美である。どことなくエキゾチックな雰囲気を漂わせ、強肩を活かした海外選手並のダイナミックなスパイクは、多くの人々を魅了した。

 1990年代前半、日本代表にエースとして彗星のごとく現れたのが、山内美加。彼女の武器は、多くの日本人選手がまだモノにしていないバックアタック。キュートな顔立ちも印象的でトレードマークの茶髪をなびかせながら、コート上でフワッと宙を舞う。高い打点からアタックをたたき込む姿は鮮烈で美しかった。

 しかし、1990年代の後半以降、女子バレーボールは実力、人気ともに低迷期に入る。1996年のアトランタオリンピックには出場するも予選リーグ敗退。2000年シドニーオリンピックの出場を逃すなど、世界のトップ舞台から遠ざかった。

 そんな苦しい時代を抜け出す救世主として現れたのは2人の『姫』だ。1人は「プリセンス・メグ」の愛称で、2003年のワールドカップでデビューした栗原恵。スタイリッシュないで立ちと愛らしさから一躍スターダムに押し上げられ、2004年アテネオリンピック、2008年北京オリンピックに出場。女子バレーボールの一時代を築き上げた「美のエース」といっても過言ではないだろう。

 もう1人の姫は、華奢で透きとおるような白い肌がチャームポイント。華麗なダイビングレシーブを得意とし、躍動感あふれるプレーでブレイクした「かおる姫」こと菅山かおるだ。2005年のワールドグランドチャンピオンズカップにおいて、身長169cmの小さなエースは持ち前のテクニックを存分に見せつけた。その後、菅山はビーチバレーボールに転向したが、自慢の美肌は最後まで守り通した。

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リベロとして活躍した“美女選手”も