例えば八村が所属するワシントン・ウィザーズを指揮するスコット・ブルックスHCもその一人。身長は180cmとウェブ氏より10cm高かったブルックスHCは、10シーズンをNBAで過ごしたが、特異だったのはルーキーシーズンに82試合全てに出場したこと。通算680試合でプレーし1994年には73試合に出場しヒューストン・ロケッツのリーグ制覇に貢献した。

 小兵といえばネイト・ロビンソンも欠かせない。公称の身長は175cmだが、魅力はその身長からは考えられないような豪快なダンクで、スラムダンク・コンテストの優勝回数はなんと3回。8チームを渡り歩くジャーニーマンで、2016年以降はNBAでプレーしていないが、まだ36歳と老け込む年齢ではなく、ファンとしてはもう一度、NBAでプレーする姿を見たいところだろう。

 ロビンソンよりも小さなプレーヤーもいた。デンバー・ナゲッツなど10チームでプレーしたアール・ボイキンスは、身長が165cm。ウェブ氏やロビンソンのようなダンクを決めることはなかったが、リーグ史上2番目の低身長にもかかわらず13シーズンを過ごし、ナゲッツ時代には2シーズンでフル出場。2006-07シーズンはナゲッツとミルウォーキー・バックスで平均14.6得点、4.4アシストをマークしチームの主力として活躍した。

 そして、小兵を語る上で外すことができないのがマグシー・ボーグス氏だ。リーグ史上最短身長160cmは、NBAファンの間では有名。14シーズンをリーグで過ごしシャーロット・ホーネッツ時代はアロンゾ・モーニング氏、ラリー・ジョンソン氏と並び、地元で絶大な人気を誇った。

 司令塔としての評価は高く通算で7.6アシストのアベレージを残したが、1989-90シーズンに平均10.7、1993-94シーズンには平均10.1アシストという二桁アシストを記録。さらに珍しいところでは、通算39ブロックを決め、その中には当時ニューヨーク・ニックスのセンター、身長213cmのパトリック・ユーイング氏をブロックした逸話も。体格からは考えられない強気なプレーを見せたことも、ファンに愛された要因だった。

 ちなみに、日本人初のNBAプレーヤーとなった田臥勇太(宇都宮ブレックス)の身長は公称173cmで、日本代表の司令塔・富樫勇樹(千葉ジェッツふなばし)は身長167cmだ。Bリーグの中でも小柄な2人よりもさらに小柄なボーグス氏、あるいは同程度の体格のウェブ氏らが、高さ必須のNBAで長きに渡ってプレーしたことは、彼らの身長ではなく身体能力の高さの証明であり、これからNBAを目指す小兵プレイヤーたちに夢を与えることにもなるだろう。(文/田村一人)