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“ポスト安倍”の最右翼といわれる菅義偉官房長官(71)が2日、自民党総裁選に正式に出馬表明をした。会見で語られたのは、その歩み。いかにして総理の座に「王手」をかけることができたのか。その運と実力を物語る過去を振りかえる。
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「私の原点について少しお話させてください」
夕方に開かれた記者会見で、決意表明の直後に語り出したのは、政治の世界に入るまでの歩みだった。選挙区は神奈川2区だが、出身地は秋田。農家の長男として生まれたという。
「卒業後すぐに農家を継ぐのに抵抗を感じて、東京に出てきました。町工場で働き始めてすぐに厳しい現実に直面。紆余曲折を経て、2年遅れで法政大学に入学しました」
卒業後いったんは民間企業に就職するものの、政治家の秘書になったのが26歳のとき。その秘書を11年間務めたのち、38歳で横浜市議会議員選挙に初当選。47歳で衆院議員になった。
会見では、それ以降は政策の説明に時間がさかれたため、有権者には国政に出てからは順調にコマを進めて来たように思われるが、意外なエピソードがある。2009年の政権交代の衆院選挙だ。当時を取材した記者は、その人柄を語る。
「すでに重鎮と呼べる存在でしたが実際に接してみるとびっくりするほど気さくなおじさんでした。朝の駅立ちは欠かさない律義さがあった。政治家にしては素朴で無欲というイメージです」
もちろん選挙では、自民党の候補者には逆風が激しく吹いていた。神奈川2区では、菅氏の対抗馬として、民主党からは東大卒の経産省出身の三村和也氏が立候補した。三村氏は、女優の広末涼子の従兄で、33歳(当時)という若さ。「横浜から若い力を国会へ!新しい時代を選択しよう」と訴え、支持を拡大していった。
当然、選挙は大接戦になった。政権交代の波にのまれて、自民党の大物議員がバタバタ落選していくなか、当落が判明したのは深夜。わずか548票差で、菅氏が競り勝った(三村氏は比例当選)。