ヤジと罵声が飛び交う中、菅直人首相は10月1日、国会の所信表明演説で尖閣諸島沖の漁船衝突事件について、「国内法に則り粛々と処理した」と強がってみせた。
しかし、漁船衝突事件、中国河北省でのフジタ社員4人の拘束事件を巡り日中間の緊張が高まった時、菅首相は「何をもたついているんだ。民主党には戴秉国(中国外交を統括する国務委員、副首相級)ら大物と話せるやつもいないのか!」と『イラ菅』を爆発させていた。女房役の仙谷由人官房長官も「われわれには中国とパイプがないからなあ」とぼやいていたという。
だが、9月29日に突如、「中国と話せるやつ」が現れたのだ。
細野豪志氏である。細野氏は、前原誠司外相、仙谷官房長官が率いるグループ「凌雲会」事務局長でありながら、代表選では、事務局長の辞表まで出して小沢一郎氏を支持した。内閣改造後は、幹事長代理から『一兵卒』に降格されている。
29日、官邸スタッフの須川清司・元民主党政策調査会部長を伴い北京入りした「無役」の細野氏は、釣魚台迎賓館へ向かった。
細野氏は「個人的なつながりで行ったので、誰と会ったかは言えない」と沈黙を守るが、戴国務委員と会談したとみられる。
その後、状況が一変した。中国政府は翌30日朝、拘束したフジタ社員4人のうち、3人を解放した。残る1人は、中国政府の「外交カード」として10月2日現在、解放されていないが、ともかく3人は無事に帰国できたのだ。またレアアース(希土類)の禁輸問題でも軟化しはじめた。
細野氏を派遣したのは誰なのか。
当初、細野氏は菅首相から中国政府首脳にあてた親書を託された『特使』と報じられたが、菅首相は即座に「まったく承知していない」と否定した。仙谷官房長官も「間接的には聞いたが、止めも、認めもしなかった」と微妙な言い回しで、前原外相も「(事前に耳に)届いていたが、政府はノータッチ」と語った。一方、民主党の岡田克也幹事長は「党は全く関与していない」と話している。
しかし、事態が緊迫した最中、閣僚でも党役員でもない細野氏が官邸スタッフを連れて訪中し、外交トップと会談したことは、それなりの理由があるはずである。誰もが知らぬ存ぜぬと言うのは不可解だ。
その謎を解く『カギ』は、中国の政権中枢に太いパイプを持つ小沢氏にある。
元共同通信記者の青山繁晴・独立総合研究所社長はこう言う。
「親書は持っていなくても、細野氏が事実上の『密使』だったことは間違いない。仙谷、前原コンビなど民主党の反小沢系にはあまりにも中国側とのパイプがない。菅首相は、小沢氏と直接は話していないけれども、仙谷氏を通じ、小沢ルートを使って中国へ根回しを頼んだのは事実なんです。小沢氏本人を訪中させるわけにはいかないので、代理として細野氏を行かせた。首相は承知の上でした」
官邸関係者も解説する。
「困った菅首相がやむなく鳩山由紀夫前首相に相談したところ、『中国なら小沢さんのパイプを使うしかない』と進言されました」
小沢氏と中国の要人たちとの交流は深い。
中国の最高権力者・胡錦濤国家主席と温家宝首相は2012年に交代することになっているが、小沢氏は、ポスト胡錦濤の最有力候補とされる李克強副首相とも旧知の仲だ。
「李副首相は北京大生だった1985年、当時、自民党の田中派の議員だった小沢氏に岩手の自宅に泊まったことがある。92年に政治家として来日した折も小沢邸に滞在したほど昵懇です」(小沢氏側近)
小沢氏は自民党離党後も交流を続け、2006年に民主党代表に就任すると、中国共産党との「交流協議機構」を設置し、要人とのパイプをつなぎ留めてきた。その年7月に訪中団を率いた時には、李氏に迎賓館に招かれて盛大な夕食の歓待を受けたという。
「この時、細野さんは党役員室長として、須川氏は政策調査会部長代理として随行し、中国側との交渉窓口となる事務方を務めました。幹事長だった鳩山氏や代表代行だった菅氏も参加しています」(民主党幹部)
小沢氏は07年と昨年末にも民主党の大訪中団を率いて北京入りしているが、細野氏はその時も事務局長を任され、胡錦濤国家主席など要人との会談や事前の打ち合わせにはほとんど同席していた。
「中国で日本との外交窓口となるのは共産党中央対外連絡部(中連部)2局です。戴氏も中連部出身で、日本語ができる王家瑞・中連部部長や劉洪才・同副部長と小沢氏との蜜月ぶりは有名です」(小沢グループ「一新会」系議員)
昨年末の小沢氏一行の訪中の交渉窓口となったのも王部長と劉副部長だった。
「訪中直前に来日した彼らを、小沢氏は細野氏を伴い、隅田川の屋形船や都内の料亭でしゃぶしゃぶをふるまい、接待していました」(民主党幹部)
劉氏は今年3月、駐北朝鮮大使に就任した。だが今回、衝突事件で中国漁船の船長が逮捕された直後の9月12~15日の間に極秘で来日していた。
「この時も細野氏が劉氏と会い、中国側からの要請を聞いていたようです」(「インサイドライン」の歳川隆雄編集長)
細野氏電撃訪中の背景には、こうした蓄積があったのだ。官邸関係者が語る。
「細野さんは、王氏の仲介で戴国務委員と会えました。フジタ社員の解放や、菅首相と温首相の日中首脳会談を実現できないかなどを話し合ったようです。小沢さんは細野さんを買っているので黙認したのです」
中国との交渉がこじれた『戦犯』は、衝突事件が起きた当時外相だった岡田幹事長と、当時国交相だった前原外相だと指摘される。外務省関係者が言う。
「衝突事件直後、中国政府は外務省に戴国務委員と岡田外相の電話会談を申し入れたが、岡田氏は外遊中という理由で返事を引きのばした揚げ句、『会談しても釈放はできない』と断った。それが中国側の怒りを買い、以降はプッツリと交渉不能となった」
一方、前原外相は民主党代表だった05年12月に北京を訪問した際に「中国脅威論」をぶち上げてひんしゅくを買った。以降、中国側に"要注意人物"とみられている。当時、前原氏に随行した細野氏は07年12月にブログでこう綴っている。
《要人との会見が実現しませんでした。北京の風が、やたらと冷たく感じられたものです》
細野氏が北京から帰国した9月30日、小沢氏と会った川内博史衆院議員はこう証言する。
「小沢さんは『尖閣が心配だ。こういう時は政治が決断しないといかん』と話していました」
菅首相は身内からも国会で「検察の判断という説明で納得する人は一人もいない」(長島昭久・前防衛政務官)と厳しく追及されている。結局、得をしたのは、存在感を示すことになった小沢氏なのだろうか。
「中国の態度がここまで頑なだったのは、小沢さんが陰で糸を引いているからではないか」(公安調査庁関係者)という陰謀論まで飛び出す始末だ。
盟友の平野貞夫氏によると、最近の小沢氏は、
「約20年前の自民党幹事長だったころのオーラが再びよみがえっている」
というのである。
中国側の『軟化』によって、ホッと一安心──といった状況の菅政権だが、迷走を繰り広げたツケは大きい。尖閣問題は、10月1日に始まった臨時国会でも『火種』になっている。
「臨時国会開会前日(9月30日)にあった衆院予算委員会の集中審議でも、野党の集中砲火を受けました。今後の焦点は、海上保安庁が撮影した衝突時のビデオ映像の国会提出と、中国人船長の釈放にかかわった最高検幹部の国会招致です」(永田町関係者)
最大の関心事は、釈放を決めた検察の判断に『政治介入』があったかどうか、である。独立総合研究所社長の青山繁晴氏が一連の内幕を語る。
「検察首脳陣の多くは、いまでも釈放の決定に反発している。もともと海上保安庁が中国人船長を逮捕したのは、官邸と外務省に相談した結果です。前原誠司国交相(当時)、岡田克也外相(同)の意見が、仙谷由人官房長官らの反対論を押し切った。ところが、9月19日の勾留延長を機に中国側が強硬姿勢を示すと、官邸が慌てふためいたのです」
そして、仙谷氏が動いたという。柳田稔法相を2度にわたって呼び出し、
「このままいくと指揮権発動の可能性もあるけれど、それでもいいのか」
と迫ったというのだ。
「柳田さんはそこで踏ん張ればいいのに、そのまま大林宏検事総長に投げた。那覇地検をはじめ検察の現場は起訴方針でしたが、大林さんが釈放を決断しました。ズルいのは菅首相ですよ。国連総会などのため22日から渡米した際、『俺がニューヨークにいる間に解決してくれ』とだけ言い残していったんですから」(青山氏)
菅首相の『無責任』ぶりには、予算委員会で質問に立った自民党の小野寺五典議員もこう呆れる。
「菅さんは、海保から届けられた"証拠ビデオ"も見ていなかった。驚きを通り越して、衝撃を受けましたよ。尖閣問題に、まったく関心がなかったのです」
いずれにしても、いくら政府が否定しようとも、実質的に『政治介入』があったとしか言いようがない。自民党の塩崎恭久元官房長官も、こう語るのだ。
「予算委の質疑で、民主党政権下では国家が危ういと思いました。システマティックに国家としての意思決定ができないんじゃないか、と不安を感じた。国家の進路は政治が正しく決めなければなりません。今回は間違った判断に基づく政治介入をしていながら、それをごまかすために責任を検察に押しつけているのです」
実際、いま官邸の意思決定がおかしくなってきているという指摘がある。大手メディアの政治部記者は、こう言って心配する。
「仙谷官房長官─枝野幸男前幹事長─寺田学首相補佐官のラインの時は、まだ菅首相と意思疎通ができてましたが、岡田幹事長になってそれぞれのテンポが合わなくなった。そもそも今回の件も、官邸内では当初、逮捕後すぐに釈放することで決まっていた。『国家主権の行使』を示すには、逮捕で事足りるわけですから。ところが、なぜかそこからズレて勾留延長してしまったのです。いま官邸は、すべてにおいて不協和音が生じている」
こんなことでは、臨時国会の紛糾は必至である。懸案の補正予算案は、公明党が賛成する方針だと報じられたが、漆原良夫・同党国対委員長は民主党との「連立」の可能性について、キッパリこう言い切るのだ。
「公明党は民主党に『レッドカード』をつきつけたままです。政治とカネ、経済対策など何も解消されていない。だから、連立を組むことはありません」
もっとも、最大野党の自民党からはこんな声も。
「せっかく民主党を攻めるチャンスだというのに、うちは、人がいいだけの谷垣禎一総裁と、キレが悪いだけの石原伸晃幹事長という布陣(笑い)。菅政権は年内解散も3月政局もないまま、意外と長く続くんじゃないか、なんて意見がもっぱらです」(同党中堅議員)
与党がグダグダなら、野党もグダグダ。こんな大変な時期に『薄味の芝居』を見せられたのでは、たまったものではない。