■苦労人礼賛では構造問題見えない
池上:菅さんは出馬表明のときに、自分は秋田の農家の生まれで東京に出てきてって話をしました。これ明らかに、田中角栄を意識してるんですよ。身一つで都会に出てきて、大変苦労して、勉強もして。これも角栄そのものですから。そうすると、自民党の年配の人とかは、これはやっぱり響くわけですよ。田中角栄の現代版みたいなことで自分を売りだそうとしていますね。今後も何とか自分の支持を得るためには田中角栄を彷彿とさせるような、そういう印象操作をするだろうなとは思いましたね。
佐藤:努力家礼賛は危ないと思っています。これは役人でも企業経営者でもそうなんですけど、努力して自分が今の地位をつかんだというところまではいいんです。でもその先、自分の地位までいかないやつは努力が足りないっていう発想になる。そうすると死ぬまで働けみたいな、こういう話になりかねません。そうではなくて、そこには巡り合わせや運という要素がある。努力すれば栄達をつかめるわけではないし、今のその地位に立てない人っていうのは、努力不足ではないんです。
だから私は苦労人礼賛とか、努力によってここまできたっていう美談に対しては、批判的になったほうがいいと思うんです。努力で解決しない問題はたくさんある。構造の問題が見えなくなる危険性があるんです。
池上:つまり、格差社会が見えてこなかったり、格差社会で所得の低い人たちは、努力してないからだって話につながりやすかったりしますね。
佐藤:その通りです。戦力とは意思×能力で、我々の能力、資質が十分ではないが意思を極大にすれば勝てると言ったのは、東条英機です。でも意思や努力を測る、定量化できる尺度ってないですから。努力重視というのは、つまり、この東条の考え方に近いことになりかねないんですよ。
菅さんという人がどういう人かを見るとき、僕が記者だったら何を読んでいるかを見ます。小説を全く読んでいないのか、あるいは努力によって成功するという通俗小説が好きなのか。他者への共感とか、そういうふうなことと絡んでいるような小説を読んでおられるのか、とか。総理になる人が、どういう本を読んできたかっていうことは、結構重要だと思いますね。