政府に政策提言したり、世論の啓発を担ったりする学問・芸術に関する専門家の権威ある機関は「アカデミー」という名称で世界各国に設置されている。
「日本には日本学士院と日本学術会議の二つのアカデミーがあります。民主主義的な国であればあるほど政府はアカデミーの独立性を尊重していますが、今回のようなことが起きると、先進国レベルだったはずの日本のアカデミーが変質していくことは免れません」(杉田教授)
日本学術会議が推薦した新会員候補のうち6人の任命を拒否したことに関し、菅首相の説明は「総合的・俯瞰的活動を確保する観点から判断した」との見解にとどまっている。
「学術会議の改革が必要であれば、正面から議論すべきです。しかし正当な理由も示されないまま欠員が続くようなことになれば、学術会議としても政府への不信感がぬぐえず議論に参加することも難しくなるのでは」
■学問の自由担保できぬ
今回任命されなかった6人の共通点と指摘されるのが、過去に政府の政策に反対や異論を呈した点だ。杉田さんは任命拒否の理由はあくまで不明と断った上でこう話す。
「これをきっかけに、批判的な意見を表明すると不利益を被ると考え、研究者の世界で政府への忖度や萎縮が広がることが懸念されます。専門性に基づく政策の分析や評価が十分に行われなくなれば、政策決定の質が低下し、社会全体が損をすることになります」
杉田さんが懸念するのは、政府によって異論が排除されることで、学問に基づく政策チェック機能が弱まることだ。実は、政府は学術会議の機能そのものを他の機関に置き換えつつある。01年に内閣府に設置された総合科学技術・イノベーション会議(14年までは総合科学技術会議)がその一つだ。
首相が議長を務め、関係閣僚とともに経済界や学術関係者が有識者議員としてメンバーに連なる。各省より一段高い立場から、総合的・基本的な科学技術・イノベーション政策の企画立案などを行うとされる。
「ときの政府の決定にみんな従え、といった傾向が強まっているように感じます。もちろん民主的に選出された政府の決定は尊重されなければなりませんが、かといって、ときの政府が有用と見なす研究だけが優遇され、研究がそこに集中していくような流れは危険です。より長期的かつ幅広い視野から、多様な研究を行えるような環境がなければ学術の発展もありません」
菅首相は、今回の措置は学問の自由とはまったく関係ない、と言い切るが本当にそうなのか。杉田さんは言う。
「各国の憲法に、学問の自由は必ずしも明記されていません。個人の学ぶ権利は思想・言論の自由で担保されている中、日本国憲法はなぜわざわざ『学問の自由』を23条に盛り込んだのか。戦前に権力による統制が強化される過程で、滝川事件や天皇機関説事件に見られるように、国策に合わない学説を唱える学者を迫害し、それが無謀な戦争とさまざまな人権抑圧に結び付いていった経緯があるからです」
日本は今、「いつか来た道」を歩き始めているのか。
「学問に政治権力が介入し、研究の場の自律性を奪うのでは、という懸念が払拭できません。研究者個人の権利に加え、大学の自治や学術会議のようなアカデミーの自律性が守られなければ学問の自由は実質的に担保できません。そして、その影響は社会全体にまで及びます。決して研究者だけの問題でないことを理解していただきたいです」
(編集部・渡辺豪)
※AERA 2020年10月19日号より抜粋
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