批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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この原稿が活字になるころには結果が出ていると思いたい。米大統領選のことである。
本稿は日本時間11月5日未明に書かれている。事前の世論調査では民主党バイデン候補の優位は揺るがず、いまごろ新大統領が決まっているはずだった。蓋を開ければ大接戦で、もつれにもつれた結果は接戦州での郵便投票に依存し、さらに開票の有効性をめぐり法廷闘争に発展する可能性さえあるという。最高裁判事の過半数は保守派であり、司法判断になればトランプ現大統領に有利とされる。
筆者自身は民主党の勝利を望んでいる。バイデン候補に新鮮味はない。疑惑もある。けれどもそれ以上にトランプがもたらした混乱は深刻だ。米国はこの4年ですっかり陰謀論の国になってしまった。立て直すには大統領交代しかあるまい。
しかしそれとは別にこの混乱で感じるのは、民主主義にはやはり欠陥があるのではないかという疑いである。少なくとも現行の投票制度は、ネットやSNSと決定的に相性が悪いのではないか。
共和党と民主党どちらが勝利するにせよ、誤差レベルの得票差による勝利となる。そのような結果はむしろ有権者の対立を深めてしまう。実際、前回大統領選も僅差で、その後米国で分断は深まるばかりだった。似た現象は英国EU離脱国民投票でも起きた。日本でも先日の大阪都構想住民投票がある。
なぜ僅差になり分断が進むのか。筆者の考えでは原因は情報過多にある。もともと政治的志向は階級や地域と深い関係をもっていた。保守かリベラルかはほぼ生まれで決まり、だからこそ逆に代表制も機能していた。けれどもいまは投票先は自由になり、みな議論で決めるようになった。それはいいことなのだが、そのぶん両陣営のキャンペーンも過剰になり、集団で見るとどんなイシューでも賛否拮抗に落ち着くようになっているのではないか。
近代民主主義の父といわれるルソーは、「一般意志」が機能するためには有権者相互の交流はむしろ抑制すべきだと記している。ネット社会と民主主義は原理的に両立しないのかもしれない。
東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数
※AERA 2020年11月16日号