会長の黒川光博氏
会長の黒川光博氏
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15条から成る「掟書」
15条から成る「掟書」
リニューアル後の赤坂店
リニューアル後の赤坂店
「ゆるるか」
「ゆるるか」

新型コロナウイルスの影響による業績の悪化は、長年にわたり地域の経済や文化を支えてきた老舗にまで及び、休業や廃業に追い込まれる老舗企業も出てきました。500年の歴史を持つ「虎屋」はこの危機をどう捉えて、乗り越えようとしているのか、会長の黒川光博氏に聞きました。

【写真】1805年に9代目がまとめた経営改革の「掟書」

危機を「転機」として前向きに捉えてきた500年

 虎屋は今から500年ほど前に京都で創業しましたが、このような事象が「100年に1度の危機」というのであれば、4、5回はあった計算になります。まずは1788年に京都で発生した天明の大火。町の大半が焼き尽くされ、虎屋も大きな被害を受け、経営難に陥りました。そのような中、1805年に9代光利は経営改革の一環として、15条から成る「掟書(おきてがき)」をまとめました。そこには、仕事においての基本的な考え方や行動基準など、今日の虎屋にも通じる精神が書かれています。

 2つ目は東京遷都に伴って、1869年に京都の店はそのままに東京へ出店したこと。今のように情報がすぐ手に入る時代ではなく、遠くの地へ赴くのは大きな決断だったでしょうが、それによって今日の虎屋ができたと考えています。

 3つ目は1923年の関東大震災。それまでは、ご注文いただいたものをおつくりするという受注販売のスタイルでしたが、これを機に店頭での販売も始めました。ちょうど私の祖父が、当時30歳で当主をしていた時代なのですが、ダイレクトメールや新聞広告など、今の商売につながるようなことを新たに始めました。

 4つ目は太平洋戦争の終戦後。砂糖の配給統制など厳しい状況が続く中、当時の当主である私の父は、菓子がつくれずパンの製造を行い、後の「虎屋菓寮」の前身となる喫茶店を開くなどしてしのぎました。暫くして世の中が落ち着いた頃に、銀座や日本橋、京都の四条などに出店。1962年にはデパートに進出するなど、時代と共に店舗数を増やしていきました。

赤坂店一時休業の挨拶文に込めた意味

 そして今回のコロナ禍。私が社長に就任してから、最大の危機と言っても過言ではないでしょう。4月の緊急事態宣言時には、即断即決で早々に店を閉めました。これは、働く人たちがコロナに感染しないということが一番大切だと思ったからです。

 今の状況が落ち着いて元に戻るためには3、4年かかると言われていますが、果たして元に戻ることが良いことなのだろうか、という疑問があります。これまでと同じような売り上げを求めて、大きな店舗をたくさん作るのは、これからの時代にナンセンスなのではないか。2018年に赤坂店をリニューアルオープンしたのですが、当初は10階建てのビルを建てるつもりだったのを最終的には4階建ての店舗にしました。そうした理由の一つには、ただ大きいだとか豪華だとか、そういうものがもてはやされる時代ではなくなってきていると感じたからです。それよりももっと人の心に根差したような、今の時代に即した店であるべきだと考え、建て替え時に一時閉店した際には、「あらゆるお客様にとってお使いいただきやすい店をつくってまいります」ということを挨拶文の中で触れました。

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注力すべきは「働く人の心の満足度」