伝統芸能の革命を肌身に感じる、ライターの九龍ジョーと講談師の神田伯山。AERA 2021年1月11日号で、そんな2人が歌舞伎の斬新な取り組みや、落語など若手の台頭について語った。
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能、歌舞伎、狂言、落語、講談、浪曲、ストリップ。日本の伝統芸能を支え、掘り起こし、進化させて世に問う担い手たちを俯瞰(ふかん)的・総合的に見つめ『伝統芸能の革命児たち』(文藝春秋)にまとめたライター、九龍ジョー。希代の落語家、故立川談志の高座に取りつかれながら講談師の道を選び、芸能の新境地を見せつけた神田伯山。見巧者(みごうしゃ)と演者の立場を超えて伝統芸能の革命を肌身に感じる2人が、語り合った。
神田伯山:コロナ禍に伝統芸能はどう対処しているのかという巷の疑問に、専門家が積極的な情報を出して業界を盛り上げるべきですが、身辺雑記みたいな感想文を書くだけの人が多いです。九龍さんみたいに伝統芸能全般を網羅し、音楽やプロレスにまで広げた視野を持たないと、きちんと現代に向き合えませんよね。
九龍ジョー:スマホや多種多様なエンタメコンテンツがある時代に、伝統芸能を観る意味はなにかということは考えますね。一方、時代の変化を越えてきたからこその「伝統」でもあるはずで、その魅力は今の人たちにも伝わるとも思いますね。
■超歌舞伎こそ本来の姿
伯山:コロナ禍前後でも歌舞伎は貪欲(どんよく)です。時代の世相を取り込んで『ONE PIECE(ワンピース)』や初音ミクの演目をやり、お客さんがライブハウスみたいに盛り上がっています。コロナ禍以後は配信にも対応していますし。
九龍:その初音ミクと中村獅童が共演する超歌舞伎を観ていると、最新技術もすごいですが、それと同じくらい、昔からある歌舞伎のアナログ演出で観客や視聴者が盛り上がります。
伯山:興奮度合いとか、演者とお客さんの距離の近さとか、超歌舞伎は案外、江戸時代の歌舞伎に近いのでは。
九龍:たしかに歌舞伎の演出や技術って、まず観客を盛り上げるためのものなんだな、という原点が垣間見える気がします。
伯山:歌舞伎の細かい技術云々は研究者がやればいい話で、あまりお客さんには関係ないんですよね。
九龍:超歌舞伎は、歌舞伎を観るのが初めてという観客が多い。その層に歌舞伎自体のすごさがちゃんと届いていることに意義がある。これは、伯山さんが現代の観客に講談の魅力を伝えていることとも通じます。
伯山:ただ歌舞伎と違うのは、僕はピン(一人)なんですよね。ピン芸って、お客さんと完全に呼吸が一致したときは、映画や芝居を凌駕(りょうが)する最高のエンターテインメントだと信じています。ただ、そこが一致しないときは、ただただつらい芸ですけど(笑)。