私と同じように受験失敗が原因で不登校になった人数は調査されていませんが、自殺であれば統計があります。受験の失敗など「入試に関する悩み」が動機のひとつで亡くなった未成年は2019年だけでも28件。過去5年間の平均は23.6件。毎年かならず、入試に関する悩みで亡くなる方がいるのです。
受験失敗は、それほど大きな傷を人に与えます。私も気持ちが晴れるまでは10年近く、かかったと思っています。その契機になったのが数学者・森毅さんの言葉でした。『不登校新聞』の取材で森さんに対して「なぜ数学にハマったのか」を聞いたところ、こう語っていました。
「数学は、私もようわからんかったけど、わからんからハマるんですね。数学は編み物に似てると言われる。目はしぶいし、肩はこるし、やめようと思っても、やめられない。それで一生懸命やったことがぜんぶムダだったり(笑)。ただ、決まった答えだったら解く必要ないんです。与えられた問題を解くんじゃなくて、自分で課題を見つけるほうが大事なんです。大学の研究も同じ。わかってることなら研究する必要ないし、すぐわかることは大したことない。なんかわからんけど、つきあうというのが本来の研究ですよ」(『不登校新聞』2000年5月15日号)
森毅さんは、著書でも問題を解いたり、公式を覚えたりすることよりも、『わからないこと』とつき合う大切さを説いていました。森さんの言葉は、私の胸に強く刺さり、以後もずっと森さんの言葉を反芻して考えてきました。
私なりに思ったのは、森さんの言葉を言い換えると「解けない問題に出会えたら財産になる」と。数学の世界には「未解決問題」がたくさんあり、なかには約1億円の懸賞金がかけられた問題もあります。数学だけではなく、社会という視点で見れば、未解決の課題ばかりです。きっと過去の偉人たちは「社会をよくするためにはどうすべきか」「人が豊かに生活するためには何が必要か」など、取り組みたい課題と出会い、生涯を捧げてきたのでしょう。
そう考えると「解けない問題」に出会うことは幸運であり、答えを知って忘れてしまうような問題は自分にとって大事な問題はない。そんな風に考えられて、私は受験の失敗から解き放たれました。今では、あの受験失敗から人生が好転したと思っています。