半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
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■横尾忠則「画家は頭空っぽにして宇宙とつながる」
セトウチさん
毎年、大晦日(おおみそか)も元旦もアトリエです。アトリエにいると無意識に絵とつながるので、何もしなくても絵を描いている気分になるのです。よっぽど絵が好きなんだろうと思われるかも知れませんが、何度も言うように、そんなに好きではないのです。絵は面倒臭い作業です。時々、何のために絵を描くのだろう?と考えます。小説なんかと違って、頼まれて描くわけじゃないんです。と言って、好きだから描くわけでもなし。まあ、クセというか、業なんでしょうね。描かんとしゃーないから描くんです。もし命令する者がいるとすると、神かな? と思うことはあります。その証拠に、キャンバスを恨めしそうにボンヤリ見ていると、身体のどこかでピカッと光って、インスピレーションが来るのです。これが来なきゃ、そのまま居眠りするところです。このピカッがどうも神らしいのです。ピカッは頭が空っぽになった時に来ます。あれこれアイデアを考えている時は来ません。
子供が何かに三昧(さんまい)になっている時とか、お坊さんがお経を上げたり坐禅している時とか、アスリートが無心で走っている時にランニング・ハイとかになる瞬間に近い時にピカッが来るのです。頭空っぽで全身を脳に切りかえた瞬間は時間が止まるというか時間の外に出てしまうのです。老化は時間の中にいるから起こるのです。時間の外に出てしまうと、年は取りません。考えて考えて描く画家もいますが、巨匠はあんまり考えません。だから画家は長寿者が多いんです。考えないからストレスがまずないですよね。
小説家は如何(いかが)ですか。頭の中、考えと言葉でギューギュー詰めじゃないでしょうか。でも女流作家は長寿者が多いですよね。それは女流作家は男性作家と違って頭で書くというより、○○で書くというじゃないですか、だから○○を使うけれど頭は使わない(アラ失礼!)。だから長寿者が多いんです。子供を産む所と作品を生む所が同じなんて、宇宙的で凄(すご)いじゃないですか。