最良の教育を受けた人たちが、自分の方がトランプ氏より米国民にとって何が良いのかを判断する権利があると考えるとしたら、それはちがうでしょう。
ふつうの人びとを民主主義への脅威と見なす人は、エリート主義的な情念から民主主義の理念そのものを破壊することになるのです。米国のエスタブリッシュメントの振る舞いは非民主的だったと思います。
それに民主主義がいつもクリーンなわけではありません。すでにその始まりにおいて、他者排斥の要素を含んでいました。特定の人たちが自分たちだけでつくり上げる仕組みです。だからほかの人たちに対抗する。
たとえば米国は米国人のものだと考える。それは、地球という惑星全体にとってすばらしい考え方ではないでしょう。でもそうやって民主主義はできた。
そんな民族単位の民主主義はいやだ、普遍的な帝国を支持する、ローマ帝国やワシントン・コンセンサスの方がいい、グローバルなエリートによって統一される世界を支持する、と主張する権利はあります。けれども、そうやって統合された世界は、民主主義ではない。寡頭制です。それを民主主義だと嘘を言ってはいけません。
大野:グローバル時代の政財界の指導者やエリートが集まって世界にご託宣をたれる「ダボス会議」を思い出します。
トッド:そのとおり。あそこに集う人たちは、自分たちこそ最良の世界を代表していると思っているかもしれません。けれど、それが民主主義だという権利はまったくありません。
大野:あなたの米メディア批判を聞きながら、新聞記者だった自分のことを考えました。
トッド:あなたを批判するつもりはありませんよ。私自身も7年間、ルモンド紙の文化面の仕事をしたことがある。記者の世界はよく知っています。
友人が記者たちをまるで化け物みたいに非難するのを聞いて、言い過ぎだとたしなめたこともあります。批判するのはシステムとしてのメディアです。