元朝日新聞記者 稲垣えみ子
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これも毎年恒例、大晦日のスキヤキの肉。父が大奮発するも中高年の胃袋では3分の1で満腹に(写真:本人提供)
これも毎年恒例、大晦日のスキヤキの肉。父が大奮発するも中高年の胃袋では3分の1で満腹に(写真:本人提供)

 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

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 毎年正月は一人暮らしの老父の家で父娘2人で過ごす。というと親孝行みたいである。というか本人そのつもり満々なんだが、そう一筋縄ではいかない。何十年も別に暮らす中高年が四六時中共に過ごすとなれば、習慣や考え方の差が次第にイライラとなって噴出し、最後は自己嫌悪にまみれて帰宅というパターンを繰り返してきた。

 でも今年は、母が亡くなって4度目の正月にして初の、非常に穏やかな3日間となったのであります。

 きっかけは「おせち」。これが私には毎年最大のイライラの種であった。というのは、生前の母は毎年頑張っておせちを手作りしていたのに父はいつも無反応。そのことに私は腹を立て、母亡き後も頑固に手作りおせちにこだわった。父にその「ありがたみ」を分からせたかったのだ。だが父は相変わらずの無反応で、当然私は腹を立て……こうなるともう百年戦争である。ところが今年はあろうことか、銭湯友達のおばさまがおせちをおすそ分けして下さった。なので多少後ろめたいながらも、私は例年にない楽をさせてもらったのである。

 で、迎えた新年。他人様の作ったものとなれば父も私も「おいしいね」と頂くのみ。味付けが上手だネと言い合い、くれぐれもお礼を言っておいてという父の心遣いも嬉しい。なーんだこれで良かったのだと思ったら拍子抜けがした。私はずっと一人で力み返り、一人で腹を立てていたのだ。自分が正しいと思っていたからだ。父に間違いを認めさせようと思ったからだ。つまりは私が一人勝手に心に壁を作っていたのである。

 そう思ったら、全てのことに腹が立たなくなった。父と意見が違っても、父には父の歴史と理屈があるのだと素直に納得できた。正しさは人それぞれ。となると不思議なもので、私の意見も父は素直に聞いてくれるのであった。

 ふと父は「えみちゃん怒らなくなったね」「ずっと怖かった」と言った。なんと私は父を怯えさせていたらしい。正しさとはげにおそろしき。重要なことを学んだ正月。

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

AERA 2021年1月18日号