「なぜ私だけが、キャリアを犠牲にしなければならないの?」

 ノブオは困惑した。ミチコは同意していたはずなのに……。ミチコからの執拗な口撃に、ノブオはたまらずこう提案した。

「家事と育児の分担が不公平になっているのは、申し訳ないと思ってる。だから、僕のお小遣い分からお金を出して家事代行を雇うよ。それで君の負担を軽くできる。いいよね?」

 ミチコは怒り狂った。

 ミチコの怒りは、家事分担の不公平に対してではない。自分は仕事を休業するという痛手をこうむっているのに、ノブオは何も痛手をこうむっていない、その不公平に対してだ。ノブオは何も失っていない(お小遣い分程度の拠出は「痛手」に含まれない)。そこに腹が立つ。

 ミチコの真の願いは、ノブオにも自分と同様に、「続けたかった仕事ができなくなる」不自由さを味わい、辛酸をなめてもらうことだ。ミチコはノブオに、自分と同じように“損(そこ)なって”ほしい。

 女は男に対して、常に“わたしと同じように、損なってほしい”と思っている。生まれ落ちた瞬間からずっと、男に対して不公平を感じ続けているからだ。

 月経による体調変動という不自由。化粧品代や被服費といった、“普通の女性”としてふるまうための膨大な必要経費。男女の賃金格差に感じる屈辱。“妊娠”という生活上の不都合。“出産”という筆舌に尽くしがたい痛み。ミチコが直面したマミートラック問題。これらはいずれも、男が味わわないで済むことばかりだ。不公平にも、ほどがある。

 あなたの妻は、男である夫のあなたと出会うずっと前から、あなたよりもずっと生物学的・社会的に“損なわされて”いる。妻の不機嫌は、目の前にいるあなたにだけ向けられているのではない。男であるという既得権益を今までの人生で存分に享受してきたあなたを、男の代表として、かつ人類の長い歴史的経緯も踏まえて、糾弾しているのだ。問題にしているのは「今、この瞬間の不平等」ではなく、「今までの不平等の蓄積」についてだ。

 だから妻は、今までの人生の「帳消し」と「補償」を求め続ける。その格好の相手として選ばれたのが、もっとも近くて、もっとも気を許せる相手である、夫のあなただ。彼女たちにとって結婚とは、はるか過去に結ばされた不平等条約を、残りの人生をかけて改正させるためのロビイスト行為にも等しい。「長らく損なわされていた私」の権利と地位の回復を求め、日々夫に対して陳情する。それが夕食どきの愚痴なのだ。

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妻が求める「共感」の正体とは?