「実家に帰りたい、このままでは精神が崩壊してしまう。もう、その思いだけが募っていきました。夫や子どもの気持ちを考える余裕は失っていました」

 そんなある日、たまきさんの元に夫の代理人から、子どもの監護者指定調停と審判前保全の通知が届いた。「連れ去り」を危惧した夫が、すでに家庭裁判所に申し立てを行っていたのだ。

 あまりに突然の出来事にたまきさんは仰天し、例えようのない恐怖を覚え、とっさに母子でシェルターに逃げ込もうとする。その際、実家の両親に電話をかけた。心配した両親が東京から駆けつけてきた。たまきさんがシェルターへ向かう準備をしていたまさにその時、夫が帰宅した。

「私は身動きがとれなくなったから代わりに保育園に行って、子どもを先にシェルターに連れて行って!」

 たまきさんはそう両親に指示。それが、直前で夫に阻止された。

「私の精神状態が相当悪かったのか、まさか監護権まで失うことになるとは思いもしませんでした」

「連れ去り」の背景には、うつ状態ゆえの過剰な被害妄想があったと、たまきさんは振り返る。

「いま思えば、夫は精いっぱい育児を手伝ってくれようとしていた。そのことに素直に感謝できていたら。夫が実家への帰省を『2週間しか許してくれなかった』ではなく、『2週間ならいいと言ってくれた』と受け取れていたら。そう思えれば、結果は違っていたと思うんです。うつ病のせいとはいえ、悔やんでも悔やみきれません」

 いま、たまきさんは夫と子どもが住む街の近くに部屋を借りて、1人暮らしをしている。週に3回ほど子どもには会えているが、別れ際、子どもが「ママと一緒に寝たい」と言うのに応えてやれないのが切ない。たまきさんが夫と子どもが暮らす家に立ち入ることは禁止されているため、具合が悪くなった子どもを看病することもできないのが、非常にやるせない。

 たまきさんの願いは、もう一度、3人で暮らすことだ。夫は、たまきさんの今後の行動で信頼が取り戻せたら、もう一度、家族で暮らすことを考えてもいいと言っている。

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もう二度と「連れ去り」はしない