東日本大震災から10年、「誰にも同じ思いをしてほしくない」との思いから、伝承活動を続けている被災者がいる。そんな思いを実践につなげる試みもはじまった。AERA 2021年3月8日号から。
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宮城県石巻市。海跡湖(かいせきこ)・万石浦(まんごくうら)につながる水道沿いの市街地の一角に、木製の遊具と寄り添うように立つ3体の子地蔵がある。木工作家・遠藤伸一さん(52)の自宅跡地だ。地蔵は遠藤さんの子どもたち。遠藤さんは振り絞るように言う。3人を殺したのは、今でも自分だと思っている──。
あの日。強い揺れのあと、遠藤さんは自宅横の別宅に住む母に子どもたちを預け、連絡がつかない親戚宅へ向かった。そこを津波が襲った。自身も津波に巻き込まれ、翌日、自宅のあった場所に戻ると、冷たくなった8歳の奏(かな)ちゃんを抱き取り乱す母の姿があった。同じ日、13歳の花さんもがれきの下から見つかった。10歳の侃太(かんた)くんが見つかったのは10日ほど後のことだ。
「地震のあと家に戻っていた花に会って、侃太と奏を学校に迎えに行ったんです。子どもらを自宅に戻していなければ、助かったはず」
生きていて地獄、死んでしまいたかった。震災からの日々を遠藤さんはそう振り返る。同じ避難所の仲間や全国からのボランティアに支えられ、何とか生きてきたという。
あの日から10年。大切な縁を失った人にとって、10年は区切りではない。一方で、遠藤さんの心境には変化もあった。これまでは早く子どもたちの元へ行きたいとどこかで願っていた。
「でも最近は、まだ死ねないと思うんです。震災後に始めたボランティア活動も中途半端だし、みんなに恩返しもできてない。思いをつないでくれる人もいる。生きる意味をなくしたおんちゃんが人に支えられて生きてきた。わが子を抱きしめることはできないけれど、3人が生きた証しを残すことはできる。ずっと後悔してますが、10年前ほど自分が嫌いじゃなくなりました」