三浦:でも、それって幸せなことなのかもしれない……。書けなくなるけど、その作品が自分の代表作になるという。それを持てるというのは、やっぱりライターというか作家としてはとても幸せなことなんじゃないかなというふうにも思えますね。

佐々:三浦さんはどうなんですか? 私はびっくりするほど『紙つなげ!』を書いて以降の記憶があいまいで3~4年間記憶が飛んでいるんです。でも『災害特派員』を読んでいると、その頃のことを思い出すことがあって。読んでは泣いて、閉じて、みたいな感じで。三浦さんはどんな気持ちでこれを10年もかかって出したのかな、と。

三浦:『災害特派員』でも少し書いたんですけど、僕は遺体が散乱している状況に飛び込んで、自分の中でもすごくショックでしたし、1年間そこで生活もして、物質的には恵まれない、8月までは水も出ないような生活だったんですが、その後に1年間ニューヨークに留学するんです。でも、そこでは物質的には恵まれているはずなのに、やっぱり何か物足りないというか、作られた日常を生きているような感じで。僕は完全にPTSDなんですよね。それでその後は半ば希望してアフリカに特派員として飛び込むんですが、アフリカの現場は往々にしてひどくて、虐殺現場があったり、飢餓があったり、エボラ出血熱のような疫病の現場があったり。そういう現場に行くんだけど、自分の中では、心が壊れているというか、「震災の時のほうがひどかった」「もっとひどい現場があるんじゃないか」という、どこか追い立てられるような感じがあった。僕が最も敬愛している記者の一人に、産経新聞のサイゴン特派員で近藤紘一さんという方がいるのですが、彼も奥さんを亡くしてベトナム戦争に飛び込んでいく。自分により負荷のかかるような経験を求めて。そういう状況や心境が人間にはあるんじゃないかと思うんですよね。僕は南三陸にいるときにも、アフリカにいたときにも、いつも「近藤紘一なら今この状況をどんな風に描くか」ということを考えながら仕事をしていました。と同時に、例えば近藤さんが描いたベトナム戦争のときと比べて、原子力災害も含めてこれだけ大きな災害が日本国内で発生したのにも関わらず、発生直後の取材者の視点で書かれたルポルタージュが極めて少ないということに気づいたんです。

次のページ