今年はプロレスの黄金時代を彩り生涯現役を貫いたジャイアント馬場の二十三回忌にあたる。記者として馬場を最も近くで見てきた『誰も知らなかったジャイアント馬場』の著者が明かす、アントニオ猪木との知られざるエピソード──。
【写真】ハワイのカハラ・ヒルトンホテルで結婚式を挙げたジャイアント馬場と元子さん
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「やあ、馬場ちゃん」
それは1998年3月のこと。東京・永田町のキャピトル東急ホテル(当時)にあった行きつけのコーヒーハウスで、ジャイアント馬場は筆者とお茶を飲んでいた。
そこへフランクな口調とともに現れたのは、馬場にとっては先輩にあたる元プロレスラー、ユセフ・トルコ。空いていたイスに腰を下ろし5分ほど、しゃべりたいだけしゃべると「じゃあ、よろしく」と言い残して、どこかに消えていった。5分間の言葉を要約すると次のようになる。
「馬場ちゃんさあ、猪木の引退試合の日は東京ドームに行きなよ。あっちも引退なんだから、最後ぐらい握手をしてもいいんじゃないの?」
かつて馬場とともに「BI砲」と称されたアントニオ猪木の現役引退が、目前に迫っていた。
舞台は同年4月4日の東京ドーム。馬場は笑顔で先輩に応対していた。だが、目尻の下がり具合が意図的だった。明らかに困惑していた。
トルコが去ると、馬場は下げていた目尻を元に戻し、冷めたコーヒーを喉の奥に流し込んだ。
あらためて「答え」は聞くまでもなかった。
ジャイアント馬場とアントニオ猪木。言わずと知れたプロレス界が誇る2大スター選手である。
60年4月、力道山率いる日本プロレスに時を同じく入門した両雄は、同年9月30日、同じ日にデビューを果たした。ただ、出世は馬場のほうが早く、インターナショナル選手権の王者として力道山亡き後の日本マット界をけん引した。
馬場にとって5歳下の猪木は弟分と言える存在だった。64年4月、馬場は自身2度目の海外武者修行からの帰国直前、入れ替わるように渡米した猪木とロサンゼルスで会った。その時、「オレはもう要らないから」と、ポケットに入っていたドル紙幣をすべて猪木に手渡した。