矢田海里さん (撮影/朝山実)
矢田海里さん (撮影/朝山実)
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 遺体の引き上げを天職と考える男性が『潜匠 遺体引き上げダイバーの見た光景』(柏書房、1800円[税抜き])の主人公だ。

 男性は祖父の代から港湾土木の工事現場で潜水業を営んできた。その腕前を買われ、警察などの依頼で落ちた車や不明者の捜索に参加してきた。

 矢田海里さんが男性と初めて出会ったのは2011年3月に起きた東日本大震災の数週間後。宮城県名取市の避難所で瓦礫撤去のボランティアを兼ねて取材していたときだ。

「最初の印象は、よくなかったですね」

 仕事を終えた男性が喫煙所で引き上げの話をするのを見かけた。1カ月後、話を聞く機会を得たが、現場で男性が笑っていたという本人の弁と、押しの強い口調になじめなかった。

「でも、なぜ笑うのか気になりました」

 男性は震災の前から、遺体引き上げという「死」と直面する日常を送っていた。彼だけが知る何かがあるのではないか。矢田さんは男性のもとに9年通い、2年間は東北に移住して取材を重ねた。

「結局、何を伝えたいの」。本書のあとがきの冒頭に記される、名取市の前市長の一言が印象的だ。事実確認のため原稿の一部に目を通してもらったときのことだ。男性が一度会社を破産させ覇気を失っていたという記述に説明を求め、「彼に自由に書かせていいのか」と男性に問い合わせたらしい。前市長にすれば男性の仕事に悪影響があってはと案じたのだろう。

「すぐに電話があって、俺は気にならねぇけどな、と言ってもらえました」

 本書に登場する前市長の場面は限られている。それでもわざわざ足を運んだのが、矢田さんの性格を表している。「インタビューは得意じゃないんです。会話下手なので」というが、男性の家族や身近にいた若者たちを含め100人近い人たちに話を聞いたという。

 遺体引き上げ時のことだけでなく、それに関連する苦労も綴られている。いつ連絡が来るかわからないため、酒を控えねばならない。かかった費用は男性が遺族に請求しなければいけないが、未回収の多いことや、重機レンタルの負担など積もる赤字への苦慮が絶えない。そうまでして、なぜ続けるのかという疑問が、読者をぐいぐいと本の中にひきずりこんでいく。

 男性の内面や捜索場面が詳しく描写されている。「それは彼の記憶力によるところが大きいです。マニュアルがない世界なので、ご遺体の引き上げに関してずっとノートに書いていた。津波ですべて失われましたが、書くことで脳に定着させてきたのでしょう」

 三人称の濃密なルポルタージュ。意外にこれが矢田さんにとって初めての著書になる。いっとき冒険家を目指したこともあったそうだが「人間のほうが未知の領域が多い」と考えを切り替えた。

 引き上げ後に男性が「笑う」理由も矢田さんなりにわかりかけてきた。「ご遺体との距離がつかめず、心がバランスを求めていたのかもしれないですね」

(朝山実)

週刊朝日  2021年4月9日号