たまたま僕はテレビ局員としては変わったキャリアを歩んできたと思います。「ゴッドタン」の企画でいえば、芸人さんが自作した歌を本気で披露する「マジ歌選手権」のライブを武道館で開催してみたり、文字通りキスを我慢するだけの企画「キス我慢選手権」の劇場版を撮ったり。「ウレロ☆」というシチュエーションコメディーのシリーズでは、舞台版の演出もしました。あとは、子ども番組の「ピラメキーノ」から生まれたオンナラブリーというユニットのCDを出して20万枚以上のセールスを記録したこともありましたね。
■決断の真意が伝わる
近しい間柄の芸人たちからは、退社を報告した際にこんな言葉を掛けられたという。
みなさん驚きつつも、「うちらの番組は担当するんでしょ?」「テレビ東京以外の仕事もお願いします」みたいな感じでした。辞めることをイジられはするけど、「辞めなきゃよかったのに」とは誰からも言われなくて。今まで通り現場に居続けるためにこの決断をしたことが、ちゃんと伝わったんだろうなと思っています。印象に残っている言葉は、劇団ひとりの「これでやっと色々できるね」。映画を撮るとか、ストーリーのある仕事をしていったほうがいいと数年前から彼は言ってくれていたんです。
――22年間所属したテレビ東京を離れた今、改めて思う“テレ東らしさ”とは?
もともと最下位の局なので、多少の失敗は許される。あとは予算がない分、企画が他局と被ったら負けるという意識。この「失敗に寛容」と「企画のオリジナリティー」がテレビ東京のクリエーティブのDNAでしょうね。ただ、これは30代後半より上の世代にとっての話かもしれない。今の若い世代の作り手にとっての“テレ東らしさ”は、「モヤモヤさまぁ~ず2」や「ゴッドタン」のような、音楽でいうとインディーズとメジャーの間にあるものじゃないかな。独自に作った曲がたまにヒットチャートに入ってくる、みたいな(笑)。
僕らの頃は今とは違って、もっと殺伐としていました。とにかく予算がなく、企画を通そうにも営業枠とアニメ枠でほとんど埋まっている。自社の制作枠なんて数枠しかない。ましてやお笑い番組は皆無でした。タレントのブッキングの仕方もわからなかったし、事務所の人もテレビ東京のことなんて誰も知らない状態でしたから。