山田邦子 (事務所提供)
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ブッチー武者(事務所提供)
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横澤彪プロデューサー (c)朝日新聞社
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 ビートたけし、明石家さんま、島田紳助、片岡鶴太郎、山田邦子……そうそうたる顔ぶれが80年代の土曜夜のお茶の間を笑わせた伝説のバラエティー「オレたちひょうきん族」の放送開始から今年で40年。出演者の“証言”も交え、「ひょうきん族」の革新性を解体していきます。

【写真】閲覧注意?ひょうきん懺悔室「ブッチー武者」

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 昭和56(1981)年。フジテレビのバラエティー番組「オレたちひょうきん族」の放送がスタートした。

 単発番組として数回放送された後、10月からレギュラー放送がスタート。ビートたけし扮する正義の味方「タケちゃんマン」と明石家さんま扮する「ブラックデビル」や「アミダばばあ」などの悪役怪人が戦うコント仕立てのコーナー「タケちゃんマン」をはじめ、「ひょうきんベストテン」や「ひょうきんニュース」「ひょうきん絵かき歌」など、数々の人気コーナーが誕生した。

 島崎俊郎の「アダモステ」や安岡力也の「ホタテマン」、ビートきよし・松本竜介・島田洋八という、今で言う「じゃないほう芸人」による「うなずきトリオ」など人気キャラも続々登場した。

「ひょうきん族」の開始前、フジテレビの「花王名人劇場」「THE MANZAI」をきっかけに、B&B、ツービート、紳助・竜介、ザ・ぼんちなど若手を中心とした“漫才ブーム”が巻き起こった。ブームの真っただ中の80年10月、フジテレビは月曜から金曜までのお昼の帯生番組「笑ってる場合ですよ!」をスタートさせる。司会のB&Bやツービート、山田邦子、紳助・竜介、明石家さんま、のりお・よしおらが名を連ねた。

 お笑い評論家で江戸川大学教授の西条昇さんは、

「『THE MANZAI』でネタを、『笑ってる場合ですよ!』ではコーナーバラエティー、そして『ひょうきん族』でスタジオにセットを組んだコントバラエティーと、ほぼ同じメンバーをメインに、どんどんバリエーションを増やしながら人気を広げていきました」

 と分析する。これらの番組を手掛けたのが、フジテレビの横澤彪プロデューサー(当時)だった。

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